明石市人丸町1-26 mapfan 交通案内 JR明石駅 東800m 北 200m 子午線の天文台北 祭神
神社庁平成祭礼データCDの由緒
公は、人皇四十一代持統天皇四十二代文武天皇にお仕へになられまして殊に和歌の道に勝れなされ、万葉集に、長歌短歌を載せられまして日本民族精神を昂揚せられました。 又任地石見の国に於かせられでも国守となられ石見紙の発明其他殖産工業を興され大いに治績をあげられました。 ,p> 天武四年三月九日柿本人丸叙三位兼播磨守と石見風土記にも書かれ小倉百人一首には「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜を一人かもねん」又古今集には「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆく舟をしぞ思ふ」等ありまして、仁和丁未(皇紀一五四七年)当社にお祭りなされました。 元和六年(皇紀二二八〇年)小笠原右近忠政公が明石城を築城せられるに当りまして今の地にお遷し申し社殿も改造せられました。亭保八年(皇紀二三八三年)柿本人丸朝臣の壱千年祭になりますので神位正一位神号柿本大明神の宣下が行はれまして毎年三月十八日例祭を執り行ひ宝祚延長歌道繁栄を懇祷すべき旨を勅命せられまして御撫者等を下しおかれました。 其後仙洞東山天皇法皇後西院天皇楼町天皇桃園天皇後楼町に於かせられましては夫々宝祚延長歌道繁栄を祈願あらせられましてお短冊(重要文化財)御撫物其の他白銀等を奉納になられました。又明和四年以後永年勅願所として慶応二年迄御撫物毎年御光臨等あり御守札を献上致してまいりました。 豊臣秀吉も「播州明石人丸は和歌第一の神仙にして諸願の霊顕甚速也・・・」の文と共に高三十石の寄進がありました。 徳川家に於いても更に十石加増神楽料五石の御奉納がありましたが明治の御維新に全部上地致しました。 現在明石全市の崇敬社でありまして歌聖としての信仰は申すまでもなく学問文芸安産の守護神除火災神として全国に信者がありまして特に入学試験に際しましては合格祈願のご祈祷依頼者が沢山ございます。 境内は人丸山公園として子供達に親しまれて居ます。
お姿
明石海峡
お祭り 人丸講祭 3月18日
公式柿本神社 |