板蓋神社
奈良県高市郡明日香村川原931 mapfan


鳥居と石段

交通案内
河原寺跡の北西


祭神
應神天皇、仲哀天皇、神功皇后
摂社 龍神社「豐玉比賣命」河原寺跡の東


本殿



由緒
板葺宮は、7世紀中期の皇極天皇が営んだ宮で後に同一人の斉明天皇も即位した宮。
 642年1月、皇極天皇は夫である舒明天皇の崩御により即位、同年9月19日、大臣である蘇我蝦夷へ新宮殿を12月までに建設するよう命じ、完成したのがこの板蓋宮である。
 板蓋宮は、645年6月12日に発生したクーデター(乙巳の変、これに伴う政治改革を大化の改新と呼ぶ。)の舞台となった。この日、皇極天皇の眼前で大臣の次期後継者である蘇我入鹿が刺殺され、これにより皇極天皇は同月14日に退位、事件の真の首謀者とも目される軽皇子が即位することとなった。孝徳天皇である。


本殿に向かって左の小祠


 その約10年後の655年1月、孝徳天皇の崩御により皇極上皇は板蓋宮において再度即位し、斉明天皇となった。そして655年末に板蓋宮は火災に遭い、斉明天皇は川原宮へ遷った。
 この頃の宮は瓦葺ではなかった。瓦は飛鳥寺などの寺院の屋根には葺かれていたが、宮に始めて葺かれたのは持統天皇694年の藤原宮で、約100年後のこと。

 何故、宮に瓦が葺かれなかったのか、それが何故藤原宮からは瓦葺きとなったのか。
 飛鳥時代以前の宮は天皇一代の宮であった。けがれが残るのだろうか、新天皇は新らしい宮で即位するのが原則であった。所が、藤原京からは歴代の天皇が同じ宮で執政を行うようになった。一代限りではなく、長期間の使用に耐えることができるように、瓦葺きとなったようだ。

 神社の由緒は不明。


龍神社



お姿
  河原寺跡の西側の小高い丘に鎮座、地元の方は氏神ですから・・と、観光客の立ち寄りは歓迎したくない雰囲気であった。そうだろうなと思う。


河原寺跡


河原寺の境界を示すと言う亀石



お祭り
 9月 15日 例会

大和の神々
神奈備にようこそ
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