天石戸別神社

奈良県高市郡高取町越智85 mapfan


出屋敷山と社叢 鳥居

交通案内
JR掖上駅 北へ20分 蘇我川を東に渡る。出屋敷山西側。


祭神
天手力男神


由緒
   九頭龍明神・九頭明神と呼ばれていたが、高市郡の式内社の天津石戸別神社に治定され、改称している。
 『寺院神社大事典』によれば、里俗に九頭竜明神と称し、水神として斎祀されているが、もともと九頭神(国津神・牛頭天王)を祀っていたものが語の類似により九頭竜になり、社名変更に伴って天岩戸を開いた天手力男命を祭祀するに至ったと考えられる。とある。 また、「越智氏系図」には越智親家が冑の八幡座の九頭銀竜を安置、九頭上大明神といって奉祀したとの説話がみえる。と紹介されている。

板石列と祝詞殿



お姿
  本殿はなく、祝詞社の背後に榊の樹があり、これを楯を立てたような板石列で取り囲んでいる。神籬と磐境とを合わせた様式で、古式を感じる。
 神体山の出屋敷山は個人の所有になるので、頂上付近を探索していない。磐座があるのかも知れない。 近々住宅にするのか公園にするのか、この山に手を加えるとのこと、惜しまれる。

昭和十一年に地元の山田梅吉氏が著した『越智氏の勤王』と云う書物をmiekoさんから頂きました。そこから抜粋します。

九頭神社の事

越前麻生津の住人三神安角二男神融禅師弱冠の頃より同州越智の岑に棲息し苦修錬行年を積て怠らず。 果して神力通達し自知解を發得す。霊亀三年十一月癸丑改元養老元年四月朔日加賀白山を踏分て妙理大 権現の霊應を蒙り、且神と懇に盟て恒に影のことく擁護したまふ。曾て和州葛木に入、役小角の跡を追 ひ茅原の里を訪ね掖上の鴨明神の社に詣らる。神歓喜し告て宣く師の来ること予が幸也。數旬師を止て 法味を受けんと念ふ。しかし我居所は雑閙にして塵裏に隣る。是より茅原の里の東に當て巒 有。越智の四季明媚伊佐良和山と云。北越智の大間の陵は 斉明天皇を隠まつる處にして、寶霊爰に止 まります。又竇有て常に黄赤の雲気靉靆して時々霊光顕し、側に又陂有。是 師の可息處也。爰に日を送り賜ふは予がため悦是にすぎじ。白山の神も亦今此岑にやどりたまふ。速に 往きてやすらひたまへ。と、教に任せて此岩窟を求息したる處に童子一人来て赤 白の珍果をそなへ、謹て告て曰く、嘗て側なる陂に持念するに、九頭の白龍あらはれ出 、是又妙理権現垂迹の跡の化現なりとて、神告て宣く、大己貴東に有て予を補け、事代主西を鎮て我又 爰に止る。最勝の土地なり。と、是より則九頭明神と崇て一宇の社祠を営む。然以来猶此山を越智師尼 山と號。越智禅師のいはれ也。 里も又是に依て越智の九頭の里と號すとかや。

神奈備の注
養老元年 717年
茅原の里 634年に役行者生誕、その地とされている吉祥草寺が鎮座。
掖上の鴨明神の社 吉祥草寺の南側に追着神社「アジスキタカヒコネ神」がある。これか?
伊佐良和山 今の出屋敷山か。高取町越智の天津岩戸別神社(九頭明神)の神体山。
斉明天皇陵 高取町大字車木の越智崗上陵
白山の神(妙理権現) 加賀国の白山比メ神社
九頭の白龍 白山は九頭龍川の水源
大己貴東に有て 大神神社
事代主西を鎮て 鴨都波八重事代主命神社

摂社に白山神社を持つ九頭神社
奈良市西狭川町 九頭神社の摂社に白山神社
天理市長滝町 九頭神社の摂社に白山神社
天理市下仁興町 九頭神社の摂社に白山神社

高取町越智の天津岩戸別神社(九頭明神)は白山妙理権現が九頭の白龍であらわれたので九頭神社としたとの伝承がある。

同書家系図から
時代が下がり、元暦元年(1184年)、越智家の者が西国出陣の時、九頭の白龍を夢に見、それで冑の八幡坐に九頭の銀龍を頂いて戦場の守護とした。明年凱旋し冑上の白龍の鎮座の場所を探していると、越智の九頭に来た時に重くなり動けず、当地はまさに九頭の杜、疑いはないと銀龍を安置したと云う。九頭上大明神と崇敬したと云う。
 また『大政経』には、素盞嗚尊、龍王九頭ヒヘスミヲ新韓国新羅に得て、天照神の駕御に高天原に送り進め奉る。九頭の龍八咫烏金。

 神奈備注
 越智氏の九頭説話は二重となっている。
 また『大政経』で、素盞嗚尊が唐突なのだが、三代目の越智家度の母は高天左谷の越智臣満香の女とあり、高天左谷からは宇智郡の祭神を素盞嗚尊とする説もある式内社高天佐太雄神社が思い起こされる。「龍王九頭ヒヘスミヲ新韓国新羅に得て」と云う辺りは文の脱落でもあるのか、意味がわからない。

お祭り
 10月中旬日曜日 例祭 10月中旬土曜日 例祭

大和の神々
神奈備にようこそ
inserted by FC2 system