氷室神社
奈良市春日野町1番4 nifty map


鳥居


交通案内
近鉄奈良線奈良駅 東1km



祭神
闘鶏稲置大山主命、大鷦鷯命、額田大仲彦命


楼門と東西の廊



由緒
 「社頭掲示」当社は、和銅三年(710)の平城遷都にともない、平城京東山の守護神として、また春日野に造られた氷池(製氷用の池)や氷室(氷の貯蔵庫)の守り神として祀られたのが始まりとされています。
 奈良時代には、氷室社をはじめ、氷池や氷室は現在の春日大社境内地にあり、厳寒期に氷池で凍らせた氷を氷室に蓄え、春分の日に氷室開きが行われ。九月まで平城京に献上していました。

 平安遷都後の貞観二年(860)に現在の地に遷座され、興福寺の鎮守、南都の地主神、南都楽所の氏神として崇敬されていました。
 御祭神は、氷室と貯氷の方法を伝承した闘鶏稲置大山主命と、その氷室を発見して奏上された額田大仲彦命と、献氷の典例を開かれた仁徳天皇の三神がお祀りされています。「以上社頭掲示」

 往古は暑い季節に皇族が亡くなった際、モガリ期間の腐敗の防止に氷を使用したようである。氷室の全てに神社が残っている訳ではなく、氷室は各地に多くあったようである。大和で氷池は30。

 『氷室神社縁起』によると、三笠山麓の吉城川の上流月日磐(下津岩根宮)に氷神を奉祀し、これを吉城川氷室、春日氷室、水谷氷室などと称したと云う。宮を高橋氷室神社と称したので、添上郡の延喜式内社の高橋神社に『大和志料』は比定している。社殿が建立されたのは建保五年(1217)とされている。


舞楽殿の拝殿

お姿

 登大路に面した春日造の一の鳥居をくぐると、両側に石灯籠が並んで出迎えてくれる。石段を登ると楼門と東西の廊がある。11月下旬の小春日よりの日の参詣であったが、本殿の前に立つと、周辺とは異なって冷たい風が吹いていた。流石氷室。
 境内には木々が多く、特に春先の桜は見事だと云う。

 本殿は三間社流造である。江戸末期の造営と云う。


本殿


摂社 舞光社「狛光高霊」


本殿と舞光社


お祭り
献氷祭   5月 1日
例祭   10月 1日


奈良市史
寺院神社大事典(大和紀伊)平凡社

大和の神々
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