久度神社(くど)

奈良県北葛城郡王寺町久度4-9-9 mapfan

鳥居


交通案内
JR・近鉄王子駅 北側を西に10分



祭神
品陀和氣命
配祀 天兒屋命、底筒男命、久度神



由緒
 延喜式内社の久度神社に当てられる。
 当神社は山城の平野神社四座の祭神の今木(いまき)、久度(くど)、古開(ふるあき)、比(ひめ)の神々の内の久度神の元社とされている。 神社のすぐ北西側を大和川が流れており、南側に離れて葛下川が流れている。古来、これらの川の流れは変わっていたようで、 神社の鎮座地も広瀬郡、葛下郡、平群郡と変わっている。神社が遷座した訳ではないようだ。

 このような立地に鎮座している久度神が竃神であろうか。
 西田長男氏は物部氏の一族の久努氏が祀っていたとの説をだされている。 『旧事本紀』國造本紀には、遠江に久努國造(くぬ)の名が見え、物部連の祖伊香色雄命の孫・印播足尼である。 谷川健一著『白鳥伝説』によれば、久努氏は遠江国山名郡久努郷におこったとのこと、また『旧事本紀』天孫本紀には物部印岐美公は志紀県主、久努直らの祖としており、 大和国と河内国の志紀の中間に久努氏がいることになる。つじつまが会わない訳ではないのだが、物部氏とのつながりのある神社の祭神が平野神社や宮中の内膳司の神とされるのであろうか。

 立地からは竃神よりは水神のように思えるが、少し上流には広瀬神社が鎮座しており、やはり水神でもあり物部でもある。

 現在の祭神の久度神は失われていたようで、平野神社からの勧請したもので、竃神である。

社殿



お姿
 大きい社叢が対岸からでもよく見える。 堤防を歩いていくと、本殿の屋根が現れる。ぎりぎりの堤防工事だったようだ。 江戸時代に奉納された石灯籠がいくつか見える。延宝元年(1673年)が最も古い時代のもの。 境内は美しく清掃されている。


お祭り
 
  10月25日 近い土曜日 例祭    
 10月25日 近い日曜日 例祭

『平成祭礼データCD』久度神社
由緒書
 久度神社は昔よりその名京畿地方に隠れもなき古社でありまして、その創祀の年代 は古く奈良朝以前にかかり、歴代皇室の崇敬篤く、殊に第五十代桓武天皇の延暦二年 二は特に官社に列せられ、従五位下という神位を賜りましたことが、続日本紀に記戴 されその後毎年朝廷より幣帛をささげられ延暦十三年都を奈良から京都に遷され久度 の神を始めその他平素から信仰の篤かった二、三の神神を皇居の近くに遷されて新た に平野神社を建てられました。これ実に今から約一千百八十年の昔であります。これ が京都の元官幣大社平野神社であり、その第二座の祭神が久度の神で出あります。平 野神社は京都守護の神として、ますます皇室の御尊崇をあつめられ久度の神の神位も 次第に高められて、白河天皇の永保元年には正一位に進められた。
 中世以降京都に遷られた久度の神は皇居に近く、ますます字上下の尊信を得て栄え ましたが、一方、大和に残存の当久度神社は、何分京都より離れた地のため朝廷直接 の御崇敬は漸く遠ざかりましたが、なお厳然と名高い古社として民間遠近の尊信は絶 えませんでした。平安朝の初めに日本国中の神社を調査された延喜式神名帳の中にも その名が記されています。
 その後約一千年の間、時により多少の変遷興廃はありましたが、昭和十七年橿原神 宮の古殿をもつて拝殿・瑞垣・斎館・中門等の造営により面目を一新し、昭和四十三 年四月十日には京都平野神社からはるばる久度の神を迎え、基のみ座である久度神社 の本殿にお祀りする。

参考資料 『寺院神社大事典 大和紀伊』

大和の神々
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