神波多神社
奈良県山辺郡山添村中峯山310-1 mapion

鳥居        石灯籠と社殿
 

交通案内
奈良交通 中峰山



祭神
神須佐之男命 合祀 櫛稻田姫神、春日大神
摂社
 八柱神社「天忍穗耳命、天津日子根命、活津日子根命、天穗日之命、熊野久須毘命、多紀理比賣命、市寸嶋比賣命、多伎都比賣命」
 六柱神社「波多武彦命 合祀 波多蔵人、六社権現」
 牛の宮「手摩槌命、脚摩槌命」御旅所
 牛岩 磐座

牛岩



由緒
 延喜式神名帳記載の神社。
 延喜式臨時祭に畿内境十処疫神の一つとして大和と伊賀の間に祀ると記された神社に相当すると考えられている。

 天武紀四年二月の条に「十市皇女・阿閉皇女、伊勢神宮に参赴ます」とあり、「万葉集」巻一にはこの時に波多の横山の巖を見て吹黄刀自(ふきのとじ)の作れる歌として、「河上のつゆ岩群に草生さず常にもがもな常処女にて」二二番を載せている。この巖については、社の南東250mのところにフナイワと呼ばれる岩があり、船の形をしている。素盞嗚尊が新羅より乗ってきたものと言われている。

 神武天皇即位前紀の条に「層富県の波丘岬に新城戸畔という者あり」とあるが、この場所が当地を指すのかどうがは定まっていない。

摂社と社殿


お姿
 舟石は泥田の中にあり、容易には近づけない。この周辺と背後の山中には多くの岩があると言う。

 本殿は五間社流造、檜皮葺(銅板覆い)、磯石建の社殿で、正面の屋根中央に千鳥破風が置かれ、正面に一間の向唐破風の向拝が付く。江戸時代の一七世紀中頃の建立と推定されている。

 正和元年(1312)の銘がある石灯籠がある。信長の伊賀攻めの戦火の跡をとどめていると言う。確かに焼けたような跡が見える。

本殿

お祭り
  10月 15日 例祭

参考 『平成祭礼データ』、『日本の神々4』

大和の神々
神奈備にようこそ

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