軽樹村坐神社
奈良県橿原市西池尻町 mapion

鳥居と拝殿

交通案内
近鉄橿原神宮西口 北西 400m



祭神
誉田別命



由緒
 復興された式内社で、近世までは八幡宮であった。
 『大和志』が、式内軽樹村坐神社が「在池尻属軽子邑今廃絶」と記して以来、復興された。 社名は軽樹の村、または軽の樹叢との二説がある。

 万葉集 巻一一 二六五六
  天飛ぶや 軽の社の斎槻(いはひつき) 幾代まであらむ 隠(こも)り妻そも
 空に飛ぶ雁=軽の社に祀られている神聖な槻(欅のこと)の下に、いつまでも隠しておかねばならない、隠している妻よ。

 記紀風土記に出てくる枯野と名づけられた船は速く走るのであるが、それは雁が空を速く飛ぶことに例えられてのネーミングかと思わせる歌のようだ。伊豆の枯野で作られた舟は実際速かったようで、その地名から枯野と地名がついたのか、または枯野と言う地名が先にあったのか、面白い所。

本殿

お姿
 神社の周りを新しい住宅が取り囲んでおり、大回りして参詣した。鳥居の正面には不法駐車の車があり、写真も満足に撮れなかった。

 軽樹とはどのような木なのか、との疑問を持っての参詣であったが、いろんな種類の木々が植えられており、不明。ただ槻を植えてあり、その根の辺りには四角く囲っていたので、上記の万葉歌の影響かも知れまい。

神木に育成中

お祭り
 月  日   祭

参考 寺院神社大事典

大和の神々
神奈備にようこそ

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