葛木御縣神社
(かつらぎみあがた)
葛城市新庄町葛木68 mapfan
鳥居と拝殿
交通案内
近鉄御所線新庄駅下車 西へ1200m
祭神
劔根命 配 天津日高日子番能瓊瓊杵命
由緒
劔根命を明治年間に追祀した。祝詞には「御縣に坐す皇神等」とあるので、いつの時代にか、瓊瓊杵命を祭神とするようになったのであろうが、
本来は、皇室直轄領地である葛木の縣の国魂であり地主神を祀るのか、または志賀剛氏によれば『式内社の研究』で御縣の神は大御饌こととして豊受姫神とされている。
『日本書紀』によると劔根命は初代の葛城国造であり、地主神とすれば当神社の祭神にふさわしい。
『新撰姓氏録』には、高御魂命の五世孫の劔根命の名が登場し、劔根命之後也として大和国神別に葛木忌寸、河内国神別に葛木直、和泉国神別の荒田直が出てくる。
また、未定雑姓右京に大辛、天押立命四世孫劔根命之後也とある。
当社には戞羅城薬(かつらぎくすり)が伝わっており、虫歯痛、口唇痛に効能があるとのこと。
蘇我氏全盛時、推古天皇に、祖先の地として葛城の地を求めたが、後世の笑いものになると断ったとの説話が『日本書紀』に記載されている。
当神社は式内大社の後裔社であるが、律令体制の崩壊などと水神、豊饒神など実利に即した神々に信仰が移り、
、その記憶が薄れるとともに由緒が失われ、更に慶長六年(1601)に領主桑山氏は自らの産土神の諸鍬神社を勧請し、
伝飯豊天皇陵(三才山)の上の諸鍬神社(八幡様)に合祀されていたのを、江戸末期に旧地の西100mの当地に遷座したとされる。
桑山氏は紀伊国和歌山城主でもあった時代があり、各地に諸桑神社を勧請したが、現在和歌山市には後裔社らしいものは見えない。
本殿
お姿
境内は広くはない。数本の木々はあるのだが、鎮守の森と言う雰囲気ではない。
お祭り
夏季大祭 7月13日
例祭 10月13日
参考
『日本の神々4』
『式内社調査報告』
『寺院神社大事典 大和紀伊』
大和の神々
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