葛木二上神社(かつらぎーふたかみ)

葛城市當麻町染野二上山頂 里宮は加守神社内

頂上の社殿


交通案内
近鉄南大阪線二上神社口下車 二上山雄山頂上へ1時間

祭神
豊布都霊神、大国魂神

由緒
 二上山の雄山と雌山は、その優雅な姿で、大和平野に住む人々でけではなく、 南河内や西摂津に住む人々からも畏敬の念を持って見られていた。
 かって西宮球場からくっきりと二上山を見た事があるが、やはり感動的であった。
 古代の官道である竹内街道が二上山の南側を通っており、二上山の東は大王のいる大和国中、 西は王陵の谷と河内の大きい平野と海が広がる豊饒をもたらす地であり、あらあらしい気風の地であった。 更に、そのはるか西は祖先の出発の地につながっているのである。西方、祖先の地、文化の進んだ大陸を連想させるのである。

 神聖な山、嶽信仰にこの神社は始まっている。創祀の時期は明らかではない。
 延喜式神名帳では二座とされているのは、雄山と雌山にそれぞれ男女の神が祀られていたのであろうと思われる。 現在の祭神からは男女二神を連想出来にくい。

 現在は、二上山の登り口に葛木倭文坐天羽雷命神社(かつらぎのーしどりにいますーあめのはづちのみこと)に里宮が置かれていると考えていい。

 さて、二上山はサヌカイトと言う刃物向きの石器素材の産出地として名高い。 二上山の頂上まで斜めにサヌカイトの層があり、この優美な山の形、大和と河内の境の立地、実用的な石の産出、と言う条件が揃っており、 おそらくは縄文時代以前から人々が暮らしていたのであろう。不思議なことだが、「二上山が噴火した」ことが口碑に残っていたとのこと、 また二上山そのものが地下から盛り上がり、これを天磐船と称するとの伝承もあり(これは矢田坐久志玉比古神社にも磐船石の説明にあった)、 物部の遠祖饒速日尊が降臨されたと言う哮峰とは二上山のこととの神主さんから説明があった。また噴火によって熱せられたようなサヌカイトも出土するとのこと。

 豊布都霊神は当社から石上神宮へ勧請されていき、大国魂神は同じく大和神社へ勧請されていったと言う。 当社の祝詞には「天の安川の川上の岩屋」と言う表現があり、この岩屋は雌岳を河内の方へ下りていくと現在は仏像が彫られている垂直の岩のことで、これが河内の川上の哮峰と表現されていったと言う。 天の安川とは明日香川のこと。

榊の神木 福永様ご提供




お姿
  頂上の神社の本殿は昭和四十九年の山火事で焼失しており、今は榊の神木を小さい社殿が取り巻いている。二上山は手頃なハイキングコースとなっており、 山が荒らされるようである。社殿が壊されたり燃やされたりで、現在は一本の木を神社としている。原始のお姿に戻ったとも言える。
山頂の神社の東側に、大津皇子の墓が作られており、宮内庁の管轄下であるが、皇子とは言え謀反の罪をきせらて処刑された身、聖山の頂上に葬られるはずがない。 里の加守神社の北側に伝承の地があるとのこと。



お祭り

上の宮 葛木二上神社 夏の祭礼 7月25日  例大祭 10月25日

天の安川の川上の岩屋

『平成祭礼データCD』葛木二上神社
 二神協力して殖産興業を守り給ふ、古来葛木二上大権現と称名して修験道者の尊信 篤く、雌雄二峰契りも深く縁結びの神としても霊験あらたかなり。

参考 神社本庁cd、『日本の神々』

大和の神々
神奈備にようこそ
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