当麻寺の鎮守
奈良県葛城市當麻町当麻 mapfan




交通案内
近鉄当麻寺駅 西へ1km



宗派など
高野山真言宗、浄土宗

東塔

由緒
 前身は河内の万法蔵院禅林寺という。二上山の西麓との説と交野説がある。寺院の由緒板は交野説をとっている。 聖徳太子の弟の麻呂子皇子(当麻氏の祖)が建立とあり、また交野は物部守屋が推古天皇に土地を献上したと伝わる地で、麻呂子皇子が寺院を建立しても不思議ではない。
 当麻寺の建立は天武天皇九年着工十三年に落慶法要がなされている。 三論宗と云う宗派から空海の留錫後真言宗となり、観音信仰がはいった。浄土宗もあるようだ。

 中将姫伝説の地であり、一夜で織りあがったと云う曼陀羅で有名。
 当麻には倭文神社、南にその元社とされる棚機神社などがあり、竹内街道が通っている渡来文化の入り口であり、早い内に七夕伝説が入ってきたのだろう。 中将姫も織姫であり、”一夜”のキイワードを持つ。機を織っていた木花咲夜姫は一夜で懐妊、織姫と牽牛は年に一夜、衣通姫とは一夜しか寝られない、など織姫と一夜とはセットで語られるようだ。

 中将姫伝説の地は継母からの逃亡譚であるから、鄙に赴く。
 『日本書紀』神代紀
 下照姫の歌「天(あま)なるや 弟棚機(おとたなばた)の頸(うな)がせる玉の御統(みすまる)、御統に 孔玉(あなだま)はや。み谷(たに) 二(ふた)わたらす阿遅志貴高日子根(あぢしきたかひこね)の神そ。」
天離(あまさか)る 夷(ひな)つ女の い渡らす迫門(せと) 石川片淵 片淵に 網張り渡し 目ろ寄しに 寄し寄り来ね 石川片淵
の歌謡がでてくる。棚機に対応した夷つ女である。

 辺鄙な田舎、紀の国に伝承の地がある。
雲雀山得生寺 有田市 糸我町
恋野の雲雀山 橋本市恋野 紀の河の南岸
 何故か、共に稲荷神社が鎮座している。秦氏の庇護を受けたのかもしれない。
 中将姫は宝亀六年(775年)であり、井上内親王と同じ没年。

  鎮守  
 
 


お姿
  当麻寺への途中に相撲の祖として当麻蹴速の碑が建っている。
 寺は桜もきれいだが、牡丹で有名。

当麻蹴速

 

大和の神々
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