當麻山口神社(たいまやまぐち)
奈良県葛城市當麻1081 ゼンリン


鳥居


交通案内
近鉄南大阪線當麻寺駅下車 西へ1500m



祭神
大山祇命、天津彦火瓊瓊杵命、木花佐久夜比賣命

摂社
當麻津日古神社「麻呂古皇子、當麻津姫」
春日若宮神社「天押雲根命」

拝殿



由緒
 二上山の雌岳の南を河内に越える岩屋越えの道沿いに鎮座、地名は新宮谷と言うが、 神社の遷座があったのではと『日本の神々4』で、木村芳一氏は述べられている。 江戸時代の當麻寺境内の図絵に神社が描かれているとのこと。

 新宮谷の名から新宮大明神と言われ、あげく熊野権現と称されたようである。

 平城京時代に拡大された山口社八社の一である。

 當麻津日古神社は當麻氏の氏神として創建され、麻呂古皇子とその妃を祀ったと見なされている。 當麻氏の衰微とともに退転し、いつのまにか山口社の摂社なり、かろうじて存続してきたのであろう。 麻呂古皇子は聖徳太子の異母弟であり、 當麻公の先祖とされている。

 鳥越憲三郎著『大いなる邪馬台国』によると、二上山雄岳のサヌカイトをいち早く確保すべく、当麻物部が居住していたと言う。 その齋祀ったのが當麻津日古神社であったと見ている。聖徳太子の弟が乗り込んできたとすれば、蘇我物部の戦いの結果、物部氏関係の土地は蘇我氏や聖徳太子の一族に奪われていったのかも知れない。

 葛下にも鳥見地名があります。富川があり、竜田川に流れているそうです。「磐城村史」には、富見社、富白庭山があるとしています。前方後円墳の鍋塚があり、長髄彦の墳墓と伝えられています。当麻町竹内字鍋塚です。

 中央の丸い緑が鍋塚です。これを見れば前方後円墳かも。

鍋塚 古墳時代中期

西国図会




お姿
  二上山麓に悠々と鎮座、広い山林の中のまさに山口社にふさわしい神社に思える。

本殿


お祭り

例大祭 10月22日

参考 神社本庁cd、『日本の神々4』、『寺院神社大辞典』

大和の神々


神奈備にようこそ
inserted by FC2 system