六所神社
奈良県山辺郡山添村峰寺257 mapion

鳥居

交通案内
奈良交通北野小前 南西800m



祭神
大山祇神
摂社 杵築神社、宗像神社、水神社、恵比須神社



由緒
 『大和紀伊神社寺院大事典』によると、祭神は、速日命、天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、熊野忍隈命となっている。『日本書紀』(一書第三)の、天照大神と素盞嗚尊との誓約で誕生した六男神と比較すると、活津彦根命の名がない。(一書第二)の五男神から見ると、活津彦根命がなく、その代わりに、速日命の名が入っている。

 『東山村史』では、主神を大山祇神で、六所明神は速日命ではなく饒速日尊となっている。
 社頭の説明板に「旧式内社」とあった。延喜の時代に定められたと言う意味で「旧」をつけたのであろう。添上郡の式内社の天乃石吸神社に比定されている。御神体であった花崗岩の上に据えられているので「石スエ」となり、石吸と転じたとされる。
 なお天乃石吸神社の論社として、春日大社の紀伊社を充てる説もあるが、社名の「石」に関連があるとすれば、紀伊社には説得力がない。
 御神体であった岩の上に本殿が造営されている。また、本殿背後の山の斜面にも多くの磐が見えている。
 江戸時代に郡山城下に移された乗光寺の鎮守だったと言う。
 境内には多聞天像、不動明王像の磨崖仏がある。また水神社の下から冷たい水が湧きだしている。

岩の上の春日造りの本殿

本殿背後の山の斜面


お姿
 峰寺集落の丘尾に鎮座、朱色の本殿。小さくまとまった鎮守。
 山添村は磐座サミットが開かれたように、村中の山々や神社境内に巨岩が目立つ。当社も山の斜面は言うに及ばず、山の嶺にもあるようだ。


 不動明王立像は建武五年(1338)のもので、像高72cm、銘文は摩滅しているが、昭和三十四年に専門家の手択によって「建武五年四月七日」の銘文が発見され、南北朝時代の石仏であることが判明した。
 直立した単調な姿勢で、右手に降魔の利剣をささげている。

お祭り
 10月 14日 例祭

不動明王立像
 

参考 『寺院神社大事典』、『式内社調査報告』『平成祭礼データ』

大和の神々
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