三柱神社

奈良県橿原市膳夫町104 mapfan

鳥居と修理中の拝殿

交通案内

近鉄大阪線耳成駅 南1km



祭神

火産靈神、奧津比古神、奧津比賣神



由緒

 膳夫寺の後進の保寿院に隣接。所謂荒神を祭るのは当地が響膳を司った膳部に関係するようで、膳夫寺の鎮守の役割もあったようだ。
 『菅笠日記』の記事。 かしはで村の南のかたはらに。森のあるをとへば。荒神の社といふ。北にむかへり。むかしは南向きなりしを。いとうたてある神にて。御前を馬にのりてとほるものあれば。かならずおちなンどせしほどに。わづらわしくて。北むきにはなし奉りしとぞ。

本殿

お姿

 膳夫の香具山小学校や幼稚園に隣接。北から参道がある珍しい神社。
 修理中だったので、逆に本殿の側まで行くことができた。
 聖徳太子の妃膳夫姫がその養母古勢女のボダイのため、寺を建て安置し仁階堂と名付けたと寛文の和州寺社記に見えます。
永正十二年(1515)八月の膳夫庄差図(談山神社蔵)に「膳夫寺」の文字がみえ、付近にカワラカマ・タノウダン・カワトウの地名が見えます。
現在の小字瓦釜・古塔にあたると思われます。膳夫寺の後身と伝える保寿院の前には磯石が二基出土しています。

元膳夫寺


お祭り

 10月 19日 例祭


参考資料 『大和紀伊神社寺院大事典』、『平成CD』  

大和の神々
神奈備にようこそ
inserted by FC2 system