宗我坐宗我都比古神社

奈良県橿原市曽我町1196 mapfan

鳥居

交通案内

近鉄大阪線真菅駅 西100m

祭神

宗我都比古神、宗我都比賣神



由緒

 『大和志』に、「曽我村の北に在り。今(享保年間)入鹿宮と称する。」とある。 二体の木像神像を御神体としている。
 創祀については『五郡神社記』には、「推古天皇の御代に蘇我馬子が武内宿禰と石川宿禰を祀って神殿を蘇我村に造営した。」と記している。また社伝では「持統天皇が蘇我一門の滅亡をあわれんで、蘇我倉山田石川麻呂の次男、徳永内供に紀氏を継がしめ、内供の子永末に祖神を奉斎するため土地を賜い、社務と耕作を行わせたのに始まるとし、祭神を蘇我氏の遠祖、彦太忍信命と石川宿禰の二神とする。

 万葉集の巻十二、三千八十七の歌
 真菅(ますが)よし宗我(そが)の川原に鳴く千鳥間なし我が背子吾(あ)が恋ふらくは
 真菅が美しい宗我の河原に鳴く千鳥、絶え間もないよ、我が脊古、私の恋することは。
 蘇我川には今でも菅は見られる。菅は神餞を供する敷物などの祭祀に使われた材料で尊ばれたものであり、すがすがしいの語源となった。これを神格化して当地の地霊神としたものが当社と『物部・蘇我氏と古代王権』の中で黛弘道氏が書いている。

拝殿

 さて、「すがすがしい」から連想するのは素盞嗚尊が須賀の地に到り「吾此地に来て、我が御心清浄し」と詔り、須賀の宮を作ったお話である。島根県大原郡大東町須賀の地の須我神社のこと。蘇我氏の出自については良くわかっていない所があり、本貫の地も河内国石川、大和国葛城、大和国蘇我などの説がある。
 大和国蘇我は当社を含むこの一体であり、曽我川の上流は東に葛城氏、巨瀬氏、西に秦氏、また東漢氏の拠点となる交通の要衝と言える地。後に飛鳥に移ったのであろう。

 出雲の須佐神社の側を素鵞川が流れている。また出雲大社(摂社素鵞社)の敷地の中をやはり素鵞川が流れている。これらの神社は素盞嗚尊を祭神としている。紀直の娘を母とする武内宿禰から蘇我氏や紀朝臣が出ているとされている。紀直の遠い祖に素盞嗚尊の名がある秘密系図が伝わっているとのことで、蘇我氏も遠い祖に素盞嗚尊を頂いた時代があったのかも知れない。

本殿

お姿

 真菅駅すぐにこんもりした杉の木が見える。本殿を囲む垣の内側の杉の木で神木のようである。 本殿もいかめしい。拝殿前の白い砂は帚目がついており、近年には大金をかけて居るわけではなさそうだが、入念な手入れがなされている神社でまさに清々しい。


お祭り


 10月 6日 例祭

『平成祭礼データ』由緒

 式内大社宗我坐宗我都比古神社由緒略記
 参拝のしおり

 一、御社名
 式内大社宗我坐宗我都比古神社

 一、鎮座地
 奈良県橿原市曽我町一、一九六番地(交通)近畿日本鉄道大阪線真菅駅下車西南一00メートル

 一、御祭神
 宗我都比古大神、宗我都比売大神

 一、御神体
 木像二体

 一、由緒概要
 曽我は古名を蘇我と記し8代孝元天皇の御子彦太忍信命の孫に当る武内宿祢の第三子石川宿祢が蘇我の大家を賜わって大阪河内から移り住みこのために姓を蘇我と改めたという。33代推古天皇の御代になって石川宿祢五世蘇我馬子宿祢がここに社殿を造って始祖石川宿祢夫妻をお祀りしたと伝えられ凡そ千三百数十年前で当神社の起源とされる。
 蘇我氏の氏祖を祀る当社は古くから曽我の近郊の人たちから「曽我さん」という愛称で広く親しまれている。

 一、祭祀
 祭儀は二月二十二日の祈年祭、十月六日の御例祭、十一月二十六日の新嘗祭がある。この御例祭のときと、境内社の稲荷神社初午祭(三月初め午の日)のときに御供(餅)撒き行事が行なわれる。秋季祭は十月十日より十七日まで宮座四座の各当家宅で小神輿を祀り、十七日の宵宮祭には大神輿によって御神体を曽我町集落内の御旅所(飛地境内)まで一・三キロメートルを渡御する。神職は終夜御神体を衛り翌十八日神社に還幸せられる。尚御旅所への神輿渡御だけは昭和三十七年以降廃止されている。また、二月十三日の御田祭オンダマツリ(お田植式)には拝殿前左右の箱組の砂囲いの擬田に稲苗(早苗)になぞらえた松葉(お正月用門松)を植えてその年の豊作を祈念する神事がある。
 尚前記の宮座中講は宗我座、神町座、宮座、宮元座の四座があり、氏子戸数一八四をかぞえる。

 一、境内地、その他
 神域は約三千坪で、この地は中曽司遺跡の中心にあり周辺の田畑から土器や石器等が出土したことより弥生時代から古代人が住みつき飛鳥時代にこの曽我を根拠地として蘇我氏が勢力を伸ばした地であり以後、奈良・平安時代には大和国曽我庄といわれ皇室領の荘園であった。旧高市郡真菅村大字曽我の旧村落から北北西約一キロメートルの位置にあり近畿日本鉄道開通当時(大正十四年)以降駅周辺に数戸の人家があったが昭和三十六年には神社前に十数戸の新興団地が出来て以来、真菅駅を中心に数千戸にまで急増しています。
 神社入口には昭和三年十一月御大典記念の神明造り石鳥居があり、その横に社名標石があり、その背後に制札がある。尚社地内には百度石「元禄七年(一、六九四年)」銘、拝殿前「蘇我大神宮明和八年(一、七七一年)九月吉日藤井氏神町座中」の銘をはじめとして灯篭が七対と一基(内一対は稲荷神社前)あり、拝殿前及び本殿前にそれぞれ一対の狛犬がある。

 一、社殿等、施設
 社壇上に東面して鎮座する本殿は白木流造り千鳥破風付、檜皮葺で、周囲を土塀白壁塀で囲まれている。尚本殿と拝殿の中間に中門、透塀木造銅板葺、拝殿は単層切妻造り瓦葺である。拝殿の南側には太鼓台、絵馬、神具などを収納する格納庫、大小神輿を収納する収納殿がある。
 また参道入口近くに手水舎があり、拝殿前右側に石玉垣を囲んで祓所あり、更に境内の北側に石鳥居一基(中原朝臣多賀高智、献備、慶応三歳二月)と朱塗木造鳥居四基が並ぶ参道の奥に稲荷神社があり、同社に向って左側に戎神社(大国主命事代主命を祀る)と、右側には八阪神社(祭神は素盞嗚命)と三神社の祠がある。
 以上

 『日本の神々4』、『式内社調査報告』、『物部・蘇我氏と古代王権』黛弘道著、『平成CD』

大和の神々
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