高角神社
奈良県宇陀郡大宇陀町守道776
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高倉山登山口の鳥居




祭神

高倉下命 (『平成祭礼CD』)ご神体は剣。
建角身命、日本磐余彦天皇 (『神名帳考証』)

神武天皇顕彰碑


由緒

 宇陀郡の式内社二座に比定。
 なお式内社については、東吉野村の高見山頂鎮座の
高角神社と山麓の水分神社とする説がある。
 明治期には当社を大高角社、下守道の八坂神社を古高角社と称していた。

 『日本書紀』巻三神武天皇即位前紀戊午年九月の条
 天皇陟彼菟田高倉山之巓。瞻望域中。時國見丘上則有八十梟帥。
 天皇は宇陀の高倉山の頂き登って、国の中を眺めた。その頃国見岳の上に八十梟帥がいた。

 この故事によって、山頂に顕彰碑が建てられている。

本殿と石碑


お姿

 当社の鎮座地は標高440mであるが、登り口からは10分程度の歩きやすい道。頂上には木々が多く、周囲を見渡すことはできない。仮に木がないとすれば、宇陀と磯城の郡界の山々はよく見えるが、国中は見えない。
 顕彰碑の向こう側には広場があり、中央に土俵がつくられている。
 また本殿横には寛政十一年(1799)に「神武天皇望軍之旧跡」の石碑が残っている。

 確認はしていないが、本殿には出入りする穴を穿っているようで、ここの神が夜遊びに出かけるのが好きだと言いい、抜け出す穴だとのこと。どなたか穴を確認されましたら、お知らせ下さい。

土俵

お祭り

例祭  4月 11日  9月 11日

 平成祭礼データ 高角神社

 参拝のしおり

 緒概要
 鎮座地 奈良県宇陀郡大宇陀町(旧政始村)大字守道高角776
 御祭神 高角大神(またの御名高椋下神二座)
 御例祭 春祭4月11日、秋祭9月11日
 平安時代の戸籍簿の如き延喜式の神名帳に高角神社鍬靫二座とある大高角と小高角の両社で神武天皇即位前3年9月うだの高倉山の上より城中の形勢を膽望された聖地(日本書記に登載)で昭和15年2月7日神武天皇聖蹟莵田高倉山伝説地として文部省から認定発表されました。(宇陀郡では莵田穿邑と菟田高倉山だけ認定うく)高角大神は饒速日命の御子天香語山命(尾張速祖)の御事で神武天皇の軍隊が熊野の荒坂津(丹敷の浦)到着したとき悪神のため天皇たちはねむらせられたので天照大神の仰せで武甕雷神(鹿島神宮の主大神)が高角大神の夢枕に現れふつ霊という剣を汝の倉のなかに発見し天皇に献上したところ天皇以下一同は目を醒まされたという。その霊剣はその後石上神宮に移され奉安られたという。

以上

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