劔主神社
奈良県宇陀市大宇陀宮奥116
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川向こうの神社




祭神

劔主根之命 (『平成祭礼CD』、『神名帳考証』)
祭神不詳 (『神社明細帳』)

鳥居と拝殿


由緒

 延喜式宇陀郡の式内社に比定される。
 当社の奥宮は岳山の白色の巨巖であり、これを信仰の対象としてしていたようである。
 磐座である巨磐を割り、運んできて当地で信仰した。宇陀には磐座の欠片を持ってきて祀る習慣があったようで、実に具体的な分祠と言える。
 当社の磐は石英でできているようで、白く美しい。従って白石大明神とよばれていた。

本殿


お姿

 昔は本殿がなかったが、現在は白石が並べられている前に本殿が置かれている。また本殿を囲う塀の左右にも白石が置かれている。
 古社らしく、鳥居の周辺から本殿背後に至るまで杉の巨木が聳え、実に見事な村の鎮守の姿をなしている。

本殿背後の磐座

お祭り

例祭 10月 8日

本殿横の磐座

 平成祭礼データ 劔主神社

 参拝のしおり

 当社は、宇陀郡大宇陀町中宮奥の宮奥川の左岸、白石に鎮座の社で、「延喜式」神名帳剣主神社にあてられている。「大和志」に、宮奥村に在り、石段有りて社屋なし、土人伝えて故実となす、とあるが、俗に白石名神とも称し、本殿の周囲に白色の硅石が数個ある。後方の山頂にも白石群があり、当社の奥の院といっていた。江戸の末期に本殿が造営されたが、それまで社殿なく、白石群を神体とし、例祭などにはここで參籠したと伝え、今の社殿のある付近は、かっての遥拝所であったというから古代日本の祭祀形態が、近世末まで残存していたことになる。背後に宝林山瑞谷院という神宮寺があったと伝える。

 祭神について「神社明細帳」や「宗教法人法による届出書」には「祭神不詳」とある。伴信友の「神名帳考証」では、「新撰姓氏録」大和国神別の条に「葛木忌寸、高御霊命五世孫剣根命の後也」とある剣根命を祭るとある。

 例祭は9月9日で、5日に本年、明年、明後年に祭主を勤める当屋は、吉野郡河原屋の大汝宮社前の吉野川で斎戒沐浴、川石1個を拾って帰り、清浄な竹、杉皮でお仮屋を作って神前で使用した雲かわらけを御神体として納める。9日の祭典に当る当屋は毎月1日、16日、28日の3回、吉野川から持帰った小石を宮奥川上流に沈めて、その下流で禊する。当屋役が終わると、その小石を剣主神社の背後山頂にある白石の磐座で通称白石さんの神前に供える例である。なお一説に、大宇陀町下宮奥鎮座の天照大神を祭神とする神社と、同町半坂に鎮座の祈雨・止雨神で、祭神素戔鳴命・経津主命・葺原醜男命とする同名の神社を、式内社とする説もある。

以上

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