渟名城入姫神社
天理市岸田町 東端


鳥居と社域

交通案内
JR桜井線柳本駅 北東へ500m its-mo

祭神
渟名城入姫命

由緒
 『日本書紀』に下記の話が出てくる。
 崇神天皇の御代、天照皇大神と大和大国魂神は宮中に祀られていた。天皇五年国内に疫病多く、この二神が同床にあるのは畏れ多いとし、天照皇大神を笠縫村に遷し、大和大国魂神を皇女淳名城入姫に祀らせたが、姫は髪落ち体痩せ、祭祀ができなくなった。

 この頃の神々は子孫に祀られたかったようで、子孫が祭祀権を横取られたことを恨む傾向にある祟り神の要素が強かった。崇神王権は三輪の神からはよそ者だったことが記されている。

 『寺院神社大事典』の大和神社の項によれば「斎侍御前とよばれた。」と言う。


お姿
  「姫は髪落ち体痩せ、祭祀ができなくなった。」とあるのを、神社にしたらこうなる、と言う姿。 狭い社域に南向きに鎮座。

 境内に神社名、由緒と例祭日を書いた木札がある。
 人皇第十代崇神天皇は皇居(磯城水垣宮)に祀られた大和神社の神々を市磯邑(大和郷)に遷座遊ばされ皇女淳名城入姫命を斎主として親しく祀らしめ給ふ。当社は同皇女を祀る。



本殿
 



お祭り

 『平成祭礼データ』 3月31日 例祭
 神社内掲示 4月1日 9月23日 例祭

大和の神々
神奈備にようこそ
inserted by FC2 system