九頭神社
天理市下仁興町41 its-mo

交通案内
天理駅よりバス苣原町方面行きバス 苣原下車 仁興へ徒歩30分


九頭神社



祭神

建御名方神
摂社 白山神社

由緒とお姿

下仁興町垣内に鎮座、古くは葛神社と称した。
 古来より本殿はない。谷間の一坪ほどの平地を本地とし、1mほどの高さ築かれている。 玉垣で囲い、神木をもって御神体とする。

 明治三十九年の調査書に「御真神木、樫、曲尺一丈五寸五分」とあって樹齢よりみてその古さを知ることができた。この御本地の前に清泉があって神橋を架け、拝殿に続いている。・・・』との記載がある。
 「清泉」ではないが、御本地前にはその跡と思われる水溜まりがある。その御本地は石で葺かれており、中央付近に神木の若い常緑樹が一本立っている。

 所で、当神社には摂社として白山神社が鎮座しているが、長滝町の九頭神社にも白山神社が摂社となっている。建御名方神を祭神とする布留川上流の川沿いに鎮座する現存の三社の九頭神社の内二社までもが白山神社を摂社としているのは何故だろうか。
 九頭・葛のイメージは縄文的と言うか、まつろわぬ人々の息吹を感じるのであるが、白山信仰は元をたどれば祖霊の坐す山とそこを水源とする河川への信仰として太古からのものではあろうが、布留川上流のこの地域ではまさに九頭神社の山と水への感謝の気持ちと同じものであろうし、わざわざ白山神社を勧請する必要は見あたらない。
 白山神社が勧請されてくるのは、古くても平安時代後期の修験道・仏教との関連と『日本の神々8』等には記載されている。
 石上神宮の神宮寺であった永久寺の鎮守四社の一社にも白山白山妙理権現として祀られているし、おそらくはその後裔社であろう白山神社が天理市杣之内庄町に鎮座している。

 布留川上流のいわば九頭地域に白山神社が鎮座しているのは、一つのヒントに過ぎないが、「九頭」との関連を示す逸話を紹介しておこう。

 白山を開いたとされる泰澄が、権現を感得したのは泰澄36才,奈良時代初頭の718年のこと。 この時には、白山比女神は,白山山上の翠池に現れ、はじめは九頭竜権現という九つの頭を持った竜の姿で現れる。泰澄がその竜の姿にさらに祈念を加えると,真の姿である十一面観音の姿になったという伝承がある。
 どうも布留川上流に住む人々の信仰対象である禍々しい印象の九頭龍神を、和らげるべく十一面観音として祭り変えてしまおいとする、朝廷や仏教側の考えが働いて、寺院の鎮守に白山権現を迎えたのではと、想像してしまう。
 後の神仏分離の際、九頭神社に鎮守社が引き取られたのではなかろうか、これも想像。


九頭神社


お祭り

 10月15日 例祭 



四社神社(天理市上仁興町) 


祭神

天照皇大神、一言主神、住吉三神、息長帯姫命、熊野大神、伊弉册命

お祭り

10月15日 例祭

四社神社


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