楢神社(なら)

天理市楢町 mapfan

鳥居

交通案内
JR櫟本駅 北北東へ 500m

祭神
五十狹芹彦命(別名を吉備津彦命)、鬼子母神

摂社 稲荷神社「寅太丸大明神」

由緒
 神社は元禄年間には約1km東の宮山(東大寺山)に鎮座していた。氏子地域と離れているので、現社地に遷座した。 『延喜式神名帳』記載の添上郡の奈良豆比古神社の論社とする説もある。
 本地を訶梨帝母(鬼子母神)とし、子授け、長寿招福の神として崇敬されている。
 鬼子母神は、当社の古版木に「往古、加賀国白山の嶺に現れ給ひて、御神諱を石川比売命と号し奉る。御本地は訶梨帝母に在し、此神慈照方便深くして抜苦与薬の御神なり。御神誓空しからず和光同塵の眼を開き給い小児を愛し万民撫育し給うこと世の人の知る処なり」とある。更に、「白山から天真榊に乗って当地に影向あらせられた」とある。

、「ナラ」と言う地名は国、緩やかな傾斜地、宮殿、王などの意味があり、これは緩やかな傾斜地に帝都ができたので、帝都をナラとよんだと言う。『地名の古代史:近畿篇』谷川健一、金達寿 河出書房新社 から。

 鎮座は神護景雲元年(767年)。


お姿
  櫟本の地域には散策用に道しるべが多く置かれており、訪問者にはありがたい。 古道の雰囲気の残る道を歩いていくと鳥居が見えてくる。社前の庭ではサッカー青年が灯籠を相手に強いボールを蹴っていた。流石に参拝者が入ると、傍若無人は控えめになった。元気そうな若者だったので、神罰はないのだろう。

 狭い神域だが朱塗りの本殿は美しい。井戸水は子授けの霊水。八代目市川団十郎奉納の井筒があるそうだ。


本殿



お祭り

 星祭  2月 2日
 春祭  4月13日
 例祭 10月10日
 

平成祭礼データから

大和楢神社栞
当社の由緒については古板木によると、「伝聞大和国添上郡楢郷楢大明神は往昔加賀 国石川郡白山の嶺に現れ給ひて、祭神御神諱を石川比咩命と号し奉るなり。御本地は 訶黎帝母に在し此御神慈照方便深くして抜苦与楽の御神なり。御神誓空しからずして 和光同塵の眼を開きたまひ小児を愛し給ひ万民撫育し給ふ事世の人の知る処なり。
抑当社御鎮座の濫觴は神護景雲元年9月13日白山の嶺より天真阪樹に乗給ひて当国 石川乃河上楢郷に着給ひて此神木に影向あらせ給ひて光を放ち給ひ庶人奇異の思ひを なして人皇48代称徳帝の御宇奏聞を遂ぐ其後神託によりて此所へ社殿造営有しとい へども練苦風雨に破し将又兵火乱放の為に亡し其後時移りて時代の大守君より社殿再 建有し事も星霜800余年を経れば雲を凌ぐ社殿門扉も其形残るといへども旧殿乃有 し所今礎さえも定かならずといへども明神の擁護は日々夜々に新しく影向の神木は兵 火の厄に焼亡すといへども樹根より若芽を生して枝葉今に繁茂して古代かわらず今社 内にあり斯霊地なるがゆへに歌に吟じ詩に賦して世に楽しむ事全く当社の神徳いちじ るしければなり。故に此社へ一度歩を運ぶ輩は諸願成就皆合満足して諸人は愛敬を得 て武門は家運を弥増し農業工匠商家は各其業職を安穏にして福徳自在長寿になさしめ んとの御神賜也。実に参詣の輩さへかくの如し況や仮にも楢号を受け氏子となりて祈 願の輩は諸願多在といへども攘賜招福長寿延命の霊神何そ其人を護り給はざらんや嗚 呼信ずべし尊むべきは御神徳なり、将に願くは有信乃輩共に信施を催し給へとしかい ふ。
これによると祭神は石川比咩命にして、加賀の白山権現で本地は訶梨帝母(かりてい ぼ)で石川という地名が楢の西にあり今大和郡山市に属していてその川上が楢で、も との鎮座地は今の場所でなく、上の宮と称する神明社の地と伝えられる。古の山の辺 の道に沿い元禄年間の櫟本村絵図にも、ここを楢村宮と記されている。神明神社は天 照皇大神を祭としているが恐らく兵火で焼亡した以後に今の地に移し、その跡を神明 神社として崇敬したと考えられる。当社は下の宮と称していて、当社の祭典当日に当 屋の主人および大字の係員、親戚らが渡御の行列で、本宮から奥宮(上の宮ともいう 、神明神社のこと)へ旅されるのである。
また別な板木を読むと、恭敬給当社楢大明神は祭神石川比咩命にして本地は円満具足 天の陰神訶黎帝母天に在野の神霊験著明く諸願必ず協給ふ(中略)翌14日(3月) 金剛寿命経(千巻)読誦奉り寿命長延ならしめんと欲す(下略)慶応2丙寅年仲春社 預執事。社人木村金吾とある。維新以後になつて五十狭芹彦命神社(祭神五十狭芹彦 命)と改めた。何によるか事情はよくわからないが、日本書紀の崇神天皇の条にある 「武埴安彦その妻吾田媛と共に謀反逆す。五十狭芹彦命を遣して吾田媛の師を撃たし めたまふ」とあるによつて五十狭芹彦命を楢と那羅山の名から氏神としたものか、明 治・大正・昭和の初までこれで来たが昭和31年6月19日に至つて社名をもと通り 楢神社と改めた。そして7月9日に登記をしたが祭神名は五十狭芹彦命となつている 。
以上
 


鬼子母神社 

櫟本町の東北に高塚公園があり、その西端に鎮座。 鬼子母神は「神」がつくので,神社とされるが、もともとはハーリティ(訶梨帝母)で,仏教に帰依しており、普通はお寺で祀られるもの。

鬼子母神社


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