勝手神社(かつて)

吉野郡吉野町吉野山2354


立入禁止の神社風景


交通案内
近鉄吉野線吉野駅から徒歩約50分

祭神
 主神 天之忍穂耳命
 配神 大山祇命、久久能智命、木花咲久夜比売命、苔蟲命、菅野比売命

由緒
 祭神は元々は受鬘命(「うけり」「うけのり」)と言われる。この神は『大和名所記』には「諾册二神相そひてあまくだります次に護国後見にくださるる」 と記されている。
 玄松子さんによると「和州旧跡幽考」や「和漢三才図会」では、吉野勝手神社の祭神は、愛鬘命。愛は受けの誤記とか。
 ノリチャンは、伊賀の式内社「鳥坂神社」の社頭説明板には「愛鬘命 又の御名 下照姫」とあることを目撃されている。 葛木の賀茂からの勧請もあるのかも知れない。
 吉野の神奈備山である青根ヶ峰に水分峯神がまつられていたのを、金峯神社、水分神社、勝手神社に分割して配置したとも伝わっており、 それならば神奈備山頂にまつられた神が始源の神であると言える。水分峯神とよばれていたようで、祈雨・止雨の神であったのではなかろうか。 三分割された後に、修験道や仏教が入ってきて、神々が変遷して来、今や天孫地祇が入り交じってまつられている。
 金峯神社の奥に愛染宝塔院跡や愛染の宿跡が残っており、「愛染」が現れる。「染」は「ゼン」と読み、「髯」と書ける。 受鬘は愛髭、愛鬘に間違えられたのは、ママありうることだろう。

 さて、『古事記』で、黄泉国での呪的逃走のシーンで、「伊邪那岐命、黒御縵(クロミカヅラ)を取りて投げ棄(ウ)つる、すなはち蒲子(エビカヅラノミ)生(ナ)りき。」 とカズラが登場する。『日本書紀』では黒鬘と表現されているが、いずれにしても、鬘は黄泉国と現世とを断絶するモノである。 神仙境吉野と俗界との境に受鬘神を祀るか勝手神社を鎮座させたのは、当然の事ながら呪術的意味が込められているのである。

 勝手神社には天女降臨伝説や静御前の舞物語が伝わる。

 天女降臨伝説
 神社背後の振袖山には、大海人皇子がこの神前で琴を弾いて歌った時、にわかに五色の雲がたなびき天女が天降って袖を翻して舞ったとの伝説。

 静御前の舞物語
 文治元年(1185年)、雪の中の吉野山で源義経と別れた静御前は、付けてもらった小物に金品を奪われてさまようありさま。 ついに追手に捕らえら、勝手神社の社殿の前で別れの踊りを舞い、荒法師や追手を感嘆させたという。 静御前は鎌倉へ送られ、鶴岡八幡宮で頼朝の前で、静御前が歌い、舞った歌詞が『吾妻鏡』に記載されている。
 
よし野山 みねのしら雪 ふみ分て いりにし人の あとそこひしき
 しつやしつ しつのをたまき くり返し 昔を今に なすよしもかな


焼失前の神社 ご提供泊瀬女さん(撮影:平成十二年十月)



お姿
  吉野のケーブル駅からほど近い賑やかな土産物店などが並ぶ一角に鎮座している。
 不審火で火災にあってしまい、再建の募金をお願いする看板が掲げられているのは痛々しい。
 現在は向かいの吉水神社に仮設置されている。
 立地上は神仙境吉野の入り口、下手にあたる場所である。勝手とは下手の意であろう。

お祭り
 例大祭 10月第三日曜日

吉野町の神々

大和の神々
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