葛城二十八宿 序品
序品は法華経全体の序論だそうだ。葛城二十八品はこの序品窟から始まる。
修験の神だけではなく日本の神々は概ね山に鎮座するのだが、そのルーツは海の彼方−例えばニライカナイ−から寄り付くのである。そう云う意味で友が島の虎島の端に序品窟が置かれたのではなかろうか。
加太港は淡島神社の東側の海岸であり、ここから友が島の沖の島の野奈浦の船着き場に一時間に一本の船が出る。25分。1000円。加太港its-mo
野奈浦の鎮守様に道中の無事を祈願して出発だ。
野奈浦の鎮守 商いの神だと聞いた。
何故か割合幅の広い散策道を約3km歩く。四つほどの山を越えていく道だが高低差は100m程度。1時間弱で虎島へ渡る「満越」に至る。満潮時にはひざまで濡れるようだ。ここへ来るのは干潮時で波が穏やかな日時に限られる。
散策道 満越
虎島の序品窟へ行くのに道路はない。海辺の大きい石や小さい石を渡って進むしかない。途中でかろうじて海水を避けて進む難所や垂直に近く岩を登る場所もでてくる。修験の雰囲気を味わえる。
白いポールは見えているのだが、なかなか近づけない。やっとこさ着いた。
虎島の海岸
経塚のポール 妙法蓮華経序品第一経塚
さて序品窟はどこかいな、と周辺を眺めれば、小さい穴が見える。何とか入れそうだ。と云うことは出れそうだ。入ったとたん急に下っている。内部が見えにくい。穴の向こう側(南側)から光が入り逆光になり、良くわからない。何となく墓石風のものが見える。これだろうと写す。
経塚
経塚 向こうの穴から入った。
中央が妙法蓮華経序品第一、右側が熊野三山前検校二品親王道晃御筆、左側に三山奉行若王子晃海、勝仙院晃玄記 と刻まれているそうだ。
観念窟は虎島の東側の岩盤の途中にある。この岩盤には、寛文九年(1669)紀州藩の儒臣、李梅渓が藩命を受けて「友嶋五所額」が刻まれている。
禁殺生穢悪
友島五所
観念窟
序品窟
閼伽井
深蛇池
劔 池
観念窟付近
劔池があると云われる神島
是則ち修験道の徒伝へいふ、小角神剣を得るの所にして、神島の名による所なり、今粟島に鎮ります少名彦命、天津神代のむかし渡り来ませし地なるをもって、かくは名に負へるにこそ。
加太の淡島神社の旧社地の伝承がある。
加太にて
加太の向井家所蔵の文献に、「葛城第一宿妙法峯転法輪山伽陀寺、本尊薬師如来、脇立十二将神、堂 三間四面、葛城七大童子堂、伽陀寺境内ニ在之 一間四面」とあり、今は向井家に隣接する常行寺に安置されて尊崇されている。
向井家 常行寺
行者堂は淡島神社の東200mに大きい石碑があり、そこから阿字ヶ峯と呼ばれた山上に登る。見晴らしの良い立地。
行者堂
『葛嶺雑記』 嘉永三年(1850) 三浦茂樹 から
友 ケ 島 序品窟、観念窟、阿伽井、深蛇池
剣の池といふは神島にあり。妙経序品第一之地
なみたてる友か嶋辺に風なきて法のふなちに月そわたれる
伽 陀 浦 迎の坊より東山手に弁才天社南山手に八幡宮・花皿井・薬師堂・金剛童子・錫杖井。西濱手に粟島明神本地の虚空蔵堂。阿字か嶺に神変大士・蓮花井・御所井・毘沙門堂・水神井・勤行井・北浜手に頭襟石・けさかけ松おひ捨石・尊国山金剛童子。
○羅網童子本地雲自在王・北方仏・紀泉国界の深山領釈迦留まりに鎮座し給ふ。此尊号は、一切の浄不浄及び有情非情をも、みなもらさじとの悲願によって、大悲光明の、あみをはり給ふの義。又所名のさかどまり、留りは(行の扁に秀)(行の扁に留)とて釈尊の宿留にしてここに相待給ふの意。
○かかるよに羅網たれてしみもさせもさかとまりにてすくひもらさし
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参考資料 『寺院神社大事典大和紀伊』、『葛城の峰と修験の道』
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