葛城二十八品 第三品
大福山登山 和歌山市直川 直川の観音google
JR阪和線六十谷駅下車 千手川沿いに上流へ歩く。右手に直川の観音さんと呼ばれる本恵寺が見える。更に上流へ歩く。駅から30分ほどで「大福山 弁財天登り口」の道標が現れる。左手の八王子跡道へ進む。
道標
15分ほどで分岐に来る。
左の道は八王子神社跡経由で大福山。
右の道は行者堂から雲山峯もしくは井関峠経由で大福山への道。雲山峯も第三の経塚の地とされている。今回は八王子神社跡経由の道を辿った。つづれ折りの急坂が続く厳しい道であった。
八王子神社跡
石燈籠には寛政?間と刻まれていた。18世紀末である。
つづれ折りの急坂を上り終えると、後は比較的なだらかないい登山道、途中、道しるべが多く、間違うことはない。頂上手前に大福山と書かれた祠があり、中央に観音像、左右に石仏が一体づつ安置されていた。
祠 大福山
結局六十谷駅から丁度2時間で大福山の頂上に着いた。
『紀伊続風土記』に言う「絶頂に石の宝殿あり、仏像を石に彫りたり、これを弁財天といふ」とある。
妙 譬喩品第三之地
妙 譬喩品第三之地
弁財天像
頂上からは多奈川の発電所や紀ノ川河口の南側がよく見えていた。
大福山の石碑には、紀伊国名草郡直川と元禄九丙子(1696)と刻まれている。
頂上から南へ200m程行った所に、経塚跡があり、ここから頂上に移したようである。
経塚跡
『葛嶺雑記』 嘉永三年(1850) 三浦茂樹 から
善 明 寺 天台別当山路坊在住紀州海士郡善明寺村
本堂千先 役行者の窟・熊野権現
鳴 瀧 山 円 明 寺 禅宗済家 紀州名草郡園部村にあり
不動堂まへに瀧・弁天堂、山上に金剛童子、寺中に釈迦 但し 経塚あれども本紀にみえず
遙拝塚ならんか。
大 福 山 本 恵 寺 日蓮宗 同国郡直川村にあり新宮本広寺末
水野家菩提所と云々 開山神変大士 本堂先手観音・おくのいんといふ有。
○福集童子本地師子相、東南仏、紀泉国界大福山に鎮座し給ふ。
此尊号は、仏の教示によって、信男信女の、果福といふの義 また所名は大千界恒沙の衆振生に、あまねく大福祥禎を得さしめ給わんとの意。
○ たのもしな福集守りつかかるよをおほふく山となさむちかひそ
右の本堂より東にて、落合村より丑寅にはかの谷といふ所に塚。
妙 譬喩品第三之地
あさきりの大福山のおくまても経塚たてし人のたのもし
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参考資料 『葛城の峰と修験の道』、『葛嶺雑記』、『葛嶺回峯録』
葛城二十八宿
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