葛城二十八品 第四品



山中渓駅 JR阪和線の桜の名所の駅、昔からの交通の要衝で馬目王子社から中山王子への熊野古道が通る。

 山中渓駅から南に歩く。100m程で中山関所跡があり、左側の小高い所に「奉納大乗妙典」と刻まれた石碑と「関所跡」の標石がある。背後に桜の木がある。『葛城回峯録』は、ここを信解品第四之経塚の元々の地と見ている。

 ここは東西から山がせまり、間に川が流れ、関所としてはよい立地。南朝の長兄天皇が河内の法華堂の造営のためにこの関所を料所としたとの記録がある。

中山関所跡の経塚
 

 山中渓駅から30分ほど歩くと和歌山県との境がある。境橋とい幅の方が遥かに長い橋がかかっている。その30m程手前に左(東へ入る道がある。阪和自動車道をくぐる。和歌山の境谷への道。 それを50mも行かない内に経塚の印の白いポールが見える。

境谷と経塚への分岐

妙法蓮華経信解品第四之経塚(さくら地蔵経塚)は和泉砂岩の自然石。阿弥陀如来の意味の梵字の下に文安五年八月十五日と刻まれている。1448年。二十八品経塚では最古の年号。元々はこの場所より西側の崖の上にあったが、阪和自動車道の工事でここへ移転した。

さくら地蔵mapfan

さくら地蔵経塚

さくら地蔵経塚 梵字

さくら地蔵経塚

『葛嶺雑記』 嘉永三年(1850) 三浦茂樹 から

 入 江 宿 除 蔵 王  泉州日根郡山中村の地なり

 かつらき御修行の節、先達中をはじめ一同御改、事実明なり、此所の老木の桜あるが故に、さくらぢざうといふ。

 ○宿着童子本地度一切世間苦悩、西方仏 泉紀国境入江宿に鎮座し給ふ。

此尊号は、宿習の業を捨て、彼岸に着するの義、また所名は、弘誓の船筏をうかめ、かのきしにとどめんとの意。

 ○山中の宿着すきて彼岸のいりえにそ見るさくら地蔵を 三十歩ゆきて梵字石あり。

妙  信解品第四之地

 くたつ日のくるる入江に仄さすは法のまことの道しるへかも

 

泉紀の国境の境橋は日本での認められた最後の仇討ちが行われた所。

仇討ちの碑



参考資料  『葛城の峰と修験の道』、『葛嶺雑記』、『葛嶺回峯録』  

葛城二十八宿

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