三徳山三佛寺 投入堂



三徳山三佛寺 鳥取県東伯郡三朝町三徳 ゼンリン

三佛寺本堂

 三佛寺 奈良時代に修験道によって開かれ、その後、仁明天皇嘉祥二年(849)、慈覚大師によって伽藍が建立され、弥陀・釈迦・大日の三尊を安置したので、三仏寺といわれた。

 三徳山は、標高899.9米、ふもとには、輪光・正善・皆成の三院があり、本堂の裏の宿入橋を渡ると、背後にそびえている輝石安山岩の急な北斜面を利用して、文殊堂・地蔵堂・納経堂・奥の院投入堂等の多数の重要文化財・国宝がならんでおり、天台宗の古刹である。(三朝町掲示板)

輪光院内の地蔵さん 寅   羊・猿

 役の行者の伝承−開基−
  山号は人皇第八代孝元天皇御宇の山号なり 慶雲三年(706)役行者(神変大菩薩)により末代窮伏の衆生を化せんがために金剛蔵王大権現を開顕し蔵王堂を建立せらる 其後、嘉祥二年(849)慈覚大師円仁により釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来の三尊を安置し、三徳山三仏寺浄土院と称し一山総本堂とし蔵王堂(国宝・投入堂)を奧の院とした。
 往古には堂舎二十八、寺三千、寺領一万町歩を領し、建久七年(1196)源頼朝の本願に依り堂舎造営 其後兵火のため焼失
 応安二年(1396)足利義満堂舎三十八、坊四十九院を修造寺領二千石寄進 其後も兵火に罹り堂舎多く焼失
 天正五年(1577)城主南条元純、寛永十年(1633)国主池田光仲 貞享五年(1688)国主松平綱清、天保十年(1839)国主池田斎訓朝臣堂舎修造し現在に至る
天台宗修験道三徳山法流本寺
中国観音霊場三十一番札所
伯耆観音霊場第二十九番札所
国指定史跡名勝の地(昭和九年指定)
全国森林浴百選の地
(境内掲示板から)

 投入堂は奥の院であり、国宝。標高470mの岩窟の中に建立されている。断崖絶壁にへばりついている。典型的な懸け造りの建造物で、切妻の神社形式。
 飛鳥時代、役の行者)が麓で建物を造り、法力により岩窟に投げ入れたと言われ、投入堂の名がついた。

国宝の投入堂 本尊 蔵王権現

観音堂 本尊 十一面観音菩薩

道筋

 三朝温泉方面から大鳥居をくぐって、バスは遙拝所の100m手前の駐車場に入る。 
 本堂までも輪光院などの前を登る。100m。
 本堂の背後に登山事務所があり、白い襷を拝借する。ここから宿入橋を通って十一面観音堂を経由、この辺りから急な登り坂、カズラ坂とは木々の根が縦横に出ている坂を、それらを持ち、足をかけながら登る。400mで文殊堂(本尊 文殊菩薩)(修理中であった)、それから坂道を80m程登ると地蔵堂(本尊 延命地蔵菩薩)に着く。

地蔵堂を本堂前から眺める。 本堂の真上に見える。

 地蔵堂から石の尾根道を歩く。60mの馬の背道を過ぎると鐘楼がある。
 さらに牛の背と言われる石道をあるく。100m。途中で飛び越える場所やアップダウンのきつい道。納経堂に到着。道が狭いのですぐに前へ進む。

 納経堂から50mで観音堂、ここから投入堂に回り込む。息を呑む。

 バス道の下側に一見駄菓子や風の店がある。地味な感じ。ここで豆腐を買ったが、これは今では絶品の豆腐、こわれないのだ。それだけで味があるのだ。日本人から失われつつある本来の豆腐がここにあった。

投入堂を遙拝所から眺める

葛城二十八宿

神奈備にようこそ
inserted by FC2 system