葛城二十八宿 第十九之地

高天佐太雄神社
奈良県五條市大澤町592
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神域と祠



祭神

高天山佐太雄神
摂社 祠一座


由緒

 式内社の高天佐太雄神社に比定される。
 金剛山の東から南に順に高天彦神社、高天岸野神社、当社と高天三座が並ぶ。金剛山の古い名は高天山と思われる。葛城山の南の峰を別途高天山とよんだようだ。

 神福山頂付近に鎮座、河内への古代の街道であった場所とは、五條市中之町の御霊神社の宮司さんの言葉であった。今では金剛登山の人も立ち寄らない場所で、到底そのようには思われないが、柔軟に物事を見ないと誤ってしまう。

 『神名帳考証』では、「佐太雄者須佐能雄命乎、按太與納横音通」とあり、祭神を須佐能雄命と推定している。どうも著者の度会延経はゴロ合わせが多いように感じる。先の御霊神社の宮司さんは地の神であると断言されていた。神の基本はその地其の地の神々であるのは納得できる。

 氏子地域の大澤の大沢寺の近くに式外雑社高天佐太雄神社が鎮座していたのを明治二十四年に当社へ合祀している。里宮と言うか遙拝所であったのだろう。



お姿

 五條と河内長野との間に金剛トンネルがある。その五條側に入り口手前20m程に入り口に向かって左側に登山口がある。すぐ手前にはコンクリートの廃小屋がある。 この道は急坂だが、数分登る。ダイアモンドレイルと呼ばれる登山道に行き当たる。 そこに方向説明板があり右手である千早峠方面に歩く。
 約10分で、分かれ道があり神福山頂方面である右の道を行く。2〜3分で神域に行き着く。先ず足下に小祠が現れる。遠くうやうやしく控えているように見える。

 天候は良くなかったが、神域はすがすがしく、自然の中でたたずんでいた。

神福大金神、龍王神、大久保家祖神の三体を祀る。


お祭り

例祭 10月23日


葛城二十八宿 第十九之地



 石碑の背後は土盛りがあり、祠の右に小石が置かれており、経塚の印し。以前ここから三面の鏡が出土したと云う。経塚の右には「バク(釈迦如来)妙経法師功徳品第十九之地」とある。江戸初期にはこの地に神福山神福寺があったようだが、寺坊退転で麓の大澤寺に諸尊は移転した。

石碑

祠と標識柱 御提供タイシさん

『葛嶺雑記』 嘉永三年(1850) 三浦茂樹 から

 神福山大沢寺 和州宇知郡 鬼多山谷にあり、五條御代官支配所 古義真言

 本堂薬師・神変大士・弘法大師・不動尊・弥陀等、此寺通称に、せの堂の目の薬師といふ、山の背のつまりにあるかゆえなりとそ、また本堂のわきに神明宮、春日社、金剛童子等、此山の頂上を神福山といふ、茂みの森あり鷲の窟あり、常光童子立せ給ふといへり、按するに常行童子の書誤りならんか、また嶺の林を経塚なりといふ。
妙  法師功徳品第十九之地
大沢の山は高野の行ひに法の林をしをりとそきく

 

 

参考 『式内社調査報告』、『日本の神々』、『大阪50山』ナカニシヤ、『葛城の峰と修験の道』、『葛嶺雑記』

葛城二十八品紀行

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