松琴山 金刀比羅神社
徳島県阿南市福井町土佐谷3 ニフティ

二の鳥居


交通案内
阿波福井駅東500m


祭神
大物主命 配祀 崇徳天皇
摂社 八坂神社「素盞嗚命」、大山津美神社「大山津美神」、

拝殿


由緒

 社伝によると、「古文書に、下福井在、七郎兵衛なる住人、元禄二年(1689)、十六歳のときより、享保元年(1716)まで、讃州金刀比羅大権現へ月詣せりと、人呼んで「こんぴら七郎兵衛」と愛称せしほどなり・・・・と。
 その七郎兵衛、満願の日、別当金光院にて、かつての(崇徳上皇)愛用の硯石を賜る。神社の起源はその由緒にはじまるものである。以上の伝記は大正十三年、神社関係者、郷土史家によって七郎兵衛の生家の破れ古びた襖の下張りから発見されたものである。

本殿


お姿
 山号を持つ神社である。松琴山、この山頂に鎮座している。土地の人は讃岐の金刀比羅の元宮と言う。宮司さんはそこまではおっしゃらない。
 三田華子著「阿波狸列伝」には「風光明眉・阿波松島と言われる橘湾の入江の奥下福井在。福井川の清流がそうそうと音をたてて翠らんの影を洗い、したたる緑の松ふく風は琴を弾じて千年の昔を語る静寂境」参詣路は石の鳥居をぬけると、左にしんしんと生い茂る森林立、右は猛宗竹の薮がつづくつづら折の坂道と記されている。


お祭り
 1月 7日、例祭

 

《博学狸こんぴら三本足松雲斎の略記》    本殿背後の樅木

 月をうつした横顔は、わざとはなやかな武士姿をさけて、藍みじんの素あわせに落しざし。足ごしらえもキりりと軽く、洗いあげたようなやくざ姿が、ぴったりと板についた日開野の金長。供をしているのは、これも、三ン下になりすました中田(ちゅうでん)の芳松。梅鉢源太を剣山へ出発させたあとで、田浦の太左衛門は金長に向い、先代の金長がその学識をうやまい、合戦の折り、太左衛門とともに作戦の相談役とした、福井の金びら狸、三本足の松雲斎に意見をきくよう進言した。うないずいた金長は、さっそくかごをとばさせ、那賀川を渡って南へ二里、下福井の神官狸、三本足を訪れての帰りみちであった。

 ここでちょっと筆をまげて、金びら狸の三木足に、スポットをあててみよう。
 阿南ずい一の景観、阿波の松島といわれる橘湾の入江に近い下福井の在。福井川の清流が、淙々と音をたてて、すいらんの影を洗い、したたる緑の松に吹く風は、琴(こと)を弾じて千年の昔を語る静寂鏡、松琴山には、海のしずめの金刀比羅宮が鎮座する。しんしんと生い茂る境内の森の奧に、二本のヒノキの大樹があり、一匹の大狸が住んでいた。非情ないたすら狸で、里に出ては人間をたぶらかし、悪事?を重ねていたが、金びら淵に出て通りかかる人間を持ちうけていた。
 ところが、その夜は通りかかった相手が悪かった。村でも指折りの鉄砲の名人、茂庄兵衛(もしょべえ)とは気がつかず、いつものように小石のつぶてを投げつけると、かねて、こうした機会をねらっていた茂庄兵衛は、鉄砲を肩にかついだ後ろ向きのまま引き金をひいた。さすがの古狸も、名人の手練にかかっては、さけるひまもなく、後ろ足をうちぬかれて、命からがら、がけをよじのぽって逃げて帰ったが、とうとう後ろ足は一本短くなり、ぴっこをひいて、三本の足で歩くようになった。以来、里人は金ぴらの三本足と呼ぶようになったと言う。

 その後も、社頭にあらわれては、参拝人をなやましていたが、ある夕刻、金刀比羅宮の神官、森飛騨守(ひだのかみ)丹平が、夕神楽を奏上しようと、神殿に登ると、白髪、白ぜん、狩衣姿の森丹平が、神前に威儀を正して座っていたる。

 おどろいたのは、あとから昇殿した森丹平。ぴたりと、その前に座をしめ、
「おのれは、何物じゃッ」
 声をはげまして問いかけたが、間髪を入れず
「わしは森飛騨守丹平じゃ」
 とすましたもの。
「おのれ、化けも化けたり。飛騨守丹平に化けるとはおこがましい。早々に退散せい。」
「はッはッは。何をぬけぬけと。おこがましいのはそちらじゃ。神罰を受けぬうちに、退散せい。」
 堂々とやりかえして、たじろがぬ面だましい。これから二人の飛騨守が、世にも珍しい狸問答をしたと伝えられているが、果たしてその内容が、森神官のあとに伝えられているかどうか?
 問えば問え、せまれば問いかけ、流水の弁をふるってシッポを出さぬ三本足を、じっと見据えた丹平は、やおら、形を正した。
 ぐっと、右手に笏(しゃく)をにぎりしめ
「はははは、いかに上手に化けても畜生の浅ましさ。神の意志にはかなわぬと見えるわ−。これッ。その笏のもち方は何じゃ。手がちがうぞ」
 と大喝一声、きめこんだ。
 とたんにうまく虚をつかれたニセ神官は、向きあった神官の笏のありどころを見るなり、あわてて左手にもちかえ、とうとう馬脚ならぬ狸脚をあらわし、おそれいって化けの皮をぬいだ。

 悪事をすることが、知恵にたけ、人間でいえば、頭脳明晰の三本足は、今までの非をさとされて、さっばりと素行を改め、それから後は、左手に笏をもち、神官姿であらわれては、金びらさまの神使いとして人を助けること専念しはじめた。それとともに、毎夜、森丹平の屋敷に通い、軒下にうすくまって、丹平が村人に講じる学の道をおさめ、ついに一代の博学狸になった。自ら、松雲斎と号して、丹平神官がるすのときは、タ神楽だけを奏上して、立派に神官の奉仕をおこたらす、行ないすましている。その三木足に、こんごの見通しや、阿波狸界の安定などの」意見を聞いての帰り道・・・・・

   (三田華子著:「阿波狸列伝(3) 通天の巻」より抜粋)   以上

三本足狸

 『平成祭礼CD』、『神社公式HP』

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