生矢神社
姫路市手柄its-mo


鳥居


交通

山陽電鉄手柄 南西500m



祭神

大国主命、須世理姫命

摂社
狭井社、老翁社、若宮社、荒魂社、稲荷社



由緒

 鎮座地は手柄山南麓の三和山である。もとは三輪明神で、神酒(みわ)は播磨国の大神である伊和大神の名に通ずる。播磨を征した伊和族がここへ進出して来た痕跡と思われる。
 『播磨国風土記』には、「餝磨郡・伊和の里(しかま いわ)伊和部とよぶのは、積幡の郡の伊和君らの族人がやってきてここに住んだ。だから伊和部とよぶ。手苅丘とよぶわけは、近い国の神がここに来て、手で草を苅って食薦とした。だから手苅とよぶ。あるいは「韓人たちが始めて来たとき、鎌を使用することがわからず、素手で稲を刈ったからと言う。」と記されている。

 また後白河上皇、平清盛の伝承もあるようだ。一方、神功皇后の射箭伝承を持つ。射箭伝承は紀の国にもあり、射矢止神社や射箭頭八幡神社にも伝わっている。

 さて、姫路は『風土記』には伊和の里の条に「蚕子が落ちた処はすなわち日女道丘(ひめじのおか)とよぶ。」とあり、姫路の地名説話を取り上げている。
 江戸時代に纏められた『播磨鑑』には、天照大神の影向の地、女神守護の国なれば、東海姫氏國と申す。姫路はその余裔。他にも多くの説があり、天日槍命が追いかけた赤留比売の足跡を言う説も興味深い。姫は他にも沢山いるが仁徳天皇の愛人であった黒比売が船から降ろされて姫は山陽道を歩いたが、姫路辺りで船から降ろされたのであれば、当地の人々には印象的であっただろう。


社殿風景 左が本殿



お姿 

 なかなか勇壮な社殿であった。拝殿には絵馬が多い。 社殿周辺は広いが、近くには木々が少ない。

 手柄山公園や図書館などの行き先を示した看板があるのだが行矢神社への案内はその看板にはでていない。悪しき政教分離だろうか。


お祭り 

兵庫県神社誌(昭和十三年)
『播磨国風土記』を歩く 寺林峻 神戸新聞社

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