伊弉册神社
兵庫県明石市岬町19-8 its-mo


鳥居

交通

山陽電鉄明石駅 南西1km



祭神

伊弉册尊
配祀 素盞嗚尊
合祀 宇迦御魂大神、金山彦大神、大山祇命、磐長比賣命、木花咲耶姫命


拝殿


由緒

 延喜式神名帳の播磨国明石郡の伊和都比賣神社の論社の一。
 『明石市史料』による由緒を記す。(『式内社調査報告』から)
 当社は人皇十代崇神天皇の御宇鎮座にして延喜式内伊和都比賣神社也。伊弉册神社を伊和都比メと称へ奉るは御子を御孕玉ふ時を称へ奉る御名にして、御降誕の御子を素盞嗚命と称し奉る。尊んで彌賀多々神と申す武大神なり。相殿に祀り奉りて伊弉册神社と申す。西境小祠(賀(ヨロコビ)の社と号す。孕石を神体とす。)続に伊弉諾社という。其の中央に武大神を鎮座す。之を彌賀多太神社と称す。社傍に一根三茎の古松あり。ミカタタ松と称す。


本殿



お姿 

 明石市は昭和二十年七月、敵米軍の空襲によって全市火の海となり、本殿以下全焼した。昭和三十七年に復興した。
 南面して鎮座、本殿の北は道路。松の木々があるが、未だあまり大きくはないのは、木々まで燃え尽きたのであろう。



お祭り 

 10月 第二日曜日 秋季例祭


摂社三宝荒神

平成祭礼データ

 当社は延喜式神名帳に云う明石郡九座の一つ伊和都比売神社にて人皇十代崇神天皇御宇六年九月十日勧請せられた式内社であり人皇四十九代光仁天皇御宇宝亀二年境内地四丁四方赦免地となり、降りて別所氏三木城主たる時崇敬厚く社領五十石を寄進祭典営繕に当ったと云われ、其後天正年間減地となるも、東城に小祠を建て御旅所と名づく(元の祇園さん)西城にも小祠を建て(賀神社)旧境内東西の境界の遺跡とする。この頃の境内地域は東西に連る松林にて「さなぎの森」と呼ばれた。嘉吉年間赤松氏の和阪ノ戦、天文年中町野入道の放火、天文年間羽柴氏三木城攻め等のしばしの兵火に罹り社殿、旧記をことごとく焼失すると伝う。明治十二年七月二日県社に列せられる。(旧明石郡にては最初なり)
 昭和二十年六月太平洋戦争の戦災にて社殿、社務所一切の建物を焼失、昭和三十七年社殿再建以後現在に至る。

  以上

平成祭礼データCD

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