十二所神社
姫路市十二所前町120 its-mo

鳥居

交通

山陽姫路駅 西400m



祭神

少彦名大神
摂社 お菊神社「菊姫命」 元社  大将軍社


拝殿


由緒

 社頭掲示によると延長六年(928)の創建と云う。以下『平成データ』から。
 一千余年前、附近に疫病が流行し、里人等はたいへん苦しんでいました。その時一夜のうちに十二本のよもぎが生えました。里人等が不思議がっていますと、少彦名大神が現れられ、このよもぎを煎じて飲めば病はたちどころに治まると教えられました。里人等は少彦名大神の御神恩に感謝し、少彦名大神を御祭神として十二所神社を創建しました。それで十二所神社の神紋はよもぎの葉です。以後、十二所神社は病気平癒、健康増進、家内安全の神様として広く崇敬されるようになりました。 


本殿



お姿 

 東面。昭和二十年に戦災にあい、全焼。その後も境内地の殆どを幹線道路などに撤収された。従って現在地に再建。

 お菊神社は北側に同居。『播州皿屋敷』の「お菊物語」の菊女は姫路二代目城主の奧女中として仕え、君主若くして病床に伏し、菊女病気平癒祈願のため当十二神社に参籠し心願叶い、全復した。
 病気全快に事よせ悪家老鉄山は仲間と語り、天正二年(1574)増位山観桜の宴を催し、君主に毒を盛った酒を勧め、主家を横領せんとしたが、菊女の内通により忠臣の知るところとなり、危なく難を逃れ、君主は家島に拠り再起を計る。
 主家を横領した鉄山は小寺家の家宝「赤絵の皿」に珍味を盛り、祝杯をあげた。皿の管理を命ぜられた菊女は奸計により皿一枚を隠され、皿改めの場に引き出され日夜はげしい折檻を受け、古井戸に吊され、二十一才の妙齢を一期に無惨な最後を遂げました。
 後に、君主は菊女の忠節を感じ、神徳あつき十二所神社の境内に祠を建て、霊をまつりてねんごろに慰めたと云う。


お菊神社
 


大将軍社
 



お祭り 

  5月 8日 お菊祭

 10月 9日 例祭

『平成祭礼データCD』、『姫路の神社』

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