大年神社
姫路市玉手字玉台328 its-mo

鳥居

交通

JR山陽本線英賀保駅 東1.5km



祭神

大年神


拝殿


由緒

 創建は仁徳天皇の御宇四十年。これは『仁徳紀』四十年に、「播磨佐伯直阿餓能胡らに隼別皇子と雌鳥皇子を殺せと命じたが、皇女が身につけている足玉や手玉を取ってはいけないと云うことだった。所が、阿餓能胡は皇女の裳から玉を取り、妻に与えた。これが仁徳天皇の皇后の目にとまり、天皇は阿餓能胡を殺そうとしたが、阿餓能胡は自分の土地を差し出した。その土地は玉代と名付けられた。とある。
 地名説話があることを以て、祭神もその頃には鎮座していたのであろうとの『播磨鑑』の推測である。

 平安延喜の頃(900年頃)当地の領主大江千里が里人とともに崇敬してやまなかったとある。


本殿


お姿 

 この地は平坦な所であり、玉とは貝を意味し、この地は貝がよくとれたと語りつがれている。5世紀に当地が海の中でなければいいんだが。
 神社は平成十七年に再建されている。 その際に木々を伐っているようで、小さい木が殆どであった。昭和初期までは木々が鬱そうとした神社であったが、虫害や落雷で枯れてしまったと云う。

 神社の正面に地蔵尊が鎮座、子供を守っている。


地蔵尊


お祭り 

  7月  1日  例祭

『平成祭礼データCD』、『姫路の神社』

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