大避神社
兵庫県赤穂市坂越1299its-mo


秦河勝が生きてたどり着いた生島

この島に河勝の時代より古い古墳がある。
河勝の墓もあるとのこと。


交通

JR赤穂線坂越駅下車 南東1500m



祭神

 大避大神(秦河勝)、天照大神、春日大神

摂社
新宮 廏戸皇子、海神、金刀比羅大神、住吉大神
荒神社 大都比賣神
ほか


随神門と背中合わせの随神(左右の大臣)と仁王像
 
神仏習合の名残である。
現在の仏教界は葬式を通じてしか知らないが、修験や神仏習合は日本に似合っている気がする。



由緒

 創建は大化三年(六四七年)以降。
 秦氏は秦の始皇帝の子孫弓月君の渡来に始めると言う伝承を持つ。 秦河勝は皇極二年(643年)の蘇我入鹿の乱を避けて、難波から船で坂越の生島に逃れ来たと云う。 播磨の揖保、赤穂、賀茂郡のは秦氏が居住していたようで、その縁を以ての赤穂入りだったのかも。
 没後は生島に葬むられたと伝わり、また子孫が神として祀ったと言う

 秦氏は全国的に分布していただろうに秦河勝は何故に赤穂へ。
 神社の西すぐに「南朝之皇族小倉御前の墓」と標識が立ち、墓がある。後世には赤穂浪士を生んだ。反権力と云うか、権力にこびへつらない気風の土地柄だったのであろう。アジールであったと言える。

 他の祭神が祀られた経緯は不明と『日本の神々2』は記述している。平安時代になると、調庸の民を率いた秦氏は娘を藤原摂関家に嫁がせ、その経済を支えた。藤原氏は皇室に娘を入内させ、皇統を支えた。当神社の祭神はそう言うことを思わす。


本殿



お姿 

 宝珠山の南側の道は坂越の古い町並みを残した坂道。 神社は南面、海に面し、生島が横たわる。
 坂越の船まつりは国選択無形文化財であり、古い船が置かれている。





荒神社



お祭り 

 10月 第2土曜日 例祭
 10月 第2日曜日 船渡御祭

日本の神々2
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