印鑰神社
石川県七尾市府中町223  google

鳥居

交通案内
JR七尾線七尾駅下車北東へ800m


祭神
市杵嶋姫命



由緒
 養老三年國府を七尾港付近に設け、港の守護神と鎮祭し、能登國國衙の印璽を保管した由来から印鑰神社と称す。印とはハンコ、鑰(ヤク)とは鍵。能登国の成立は奈良時代の養老二年(718)、越前国を分割して誕生したが、再度越中国に統合、再び独立して能登国となった。
 古代の能登国の役所所在地、国府は古府辺りで、県庁に相当する国衙の役人は朝廷から与えられた公印と倉庫の鍵を管理していた。印鑰神社とはその印と鍵を祀った神社。

 由緒によると大同年間(806年〜810年)に兵火によって神社は焼けてしまい、避難のためにご神体の印と鍵を石櫃に納めて土中に隠して埋めたと云う。
 数百年が経ち能登が前田利家の支配の下に入った後の文禄年間(1592年〜1596年)に当時の町奉行三輪藤兵衛が神託によって赤間田(神明町のあたり)から掘り出して印鑰神社を再興したそうだ。
 明治42年の神社の写真と説明によりました。

拝殿


お姿
  海岸近くに鎮座している。木々が少ない若干殺伐感の漂う神社。
 青柏祭の山車の一つはここを起点としている。 境内に車輪が展示されている。青柏祭のでか山車輪で、山車の重量は20トン、高さ14m、車の直径は210cmと云う。


お祭り
  5月 3日 青柏祭 曳山は人形山で、地車の上にヤグラを組み、幕を張り巡らして、その中央に人業を設置して、歌舞伎の一場面を表したもの。義経千本櫻、仮名手本忠臣蔵、などなど。毎年出し物が変わる。5月14日が本番。
  5月 3日 青柏祭

社殿

車輪


平成祭礼データ

 養老三年國府を七尾港付近に設け、港の守護神と鎮祭し、能登國國衙の印璽を保管した由来から印鑰神社と称す、戦國の爭乱天難を土中にさけ、文緑年中赤間田より地主両川市左エ門郡奉行三輪藤兵衛の夢告により出土し慶長二年大手町、寛永十六年府中町と府中村の入会浜に移転文政八年現地に遷宮す。
    以上


参考:『平成祭礼データCD』

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