宿那彦神像石神社
石川県鹿島郡鹿西町金丸字金丸ヌよ1  mapfun

鳥居

交通案内
JR七尾線金丸駅下車北へ10分


祭神
少彦名命
摂社 鎌宮諏訪神社、住吉神社



由緒
 祭神は宿那彦神で、その神像石を奉祀する神社である。
 能登国の式内社の論社の一であり、もう一社は七尾市黒崎町の同名社である。『三代実録』に、貞観二年(860)「能登国大穴持神・宿那彦神像石神二前、並列於官社」と見える。

 神代の昔、大己貴命とともに神功をたてた少彦名命が神霊をこの霊石に留め給うたのであると伝えてきている。 邑知潟にすむ毒蛇を退治して国土を平定したと云う。
 これは両論社に共通であるが、大己貴命を祀る大穴持像石神社との距離は8kmで金丸がはるかに近く、また気多神社の平国祭に寄与しているので、その方面からは有利な論社と云われる。一方黒崎は海岸に鎮座しており、海から寄りついて来た少彦名神を祀るには相応しい。

拝殿


お姿
 眉丈山麓の宮谷に南東に面して鎮座している。杉の木立の社叢。よく手入れがなされており、気持ちのよい境内。拝殿は三間に三間の入母屋造瓦葺で、幣殿を連接する。本殿は切り妻造平入り瓦葺き。神像石は見当たらず。
 神像石は総丈一尺七寸余、薄緑色の真石と云う。古くは社殿はなく、境内中央に枯れかけたタブの神木と若木を石の玉垣で囲んでいたと言う。


お祭り
秋季定祭  10月 第1日曜日 1日間

平国祭  3月20日夕刻、気多神社の神輿は拝殿で一泊、翌朝当社の祭神が神輿に遷座され、気多本宮に神幸。
平国祭  3月23日午前、神輿が当社に還御、祭典を奉仕する。 

本殿


平成祭礼データ

 神代の昔、祭神の少彦名命は大名持命とともに、能登国を巡行、多気倉長命と力をあわせて国土の平定開発に神功をたて遂にその霊を神石に留めて、金丸宮地の地に鎮まり給うた。
 崇神天皇の朝、この神石を当社に奉安した。 清和天皇、貞観二年六月九日桜井宿祢基継を勅使として当社に参向せしめ、位階正三位神地四丁余を賜い、官社に列せらる。
 醍醐天皇の朝、延喜式に国幣の小社としてその名をつらねる。
 明治十年三月内務省より国幣中社気多神社の摂社とせられ、同十三年三月二十五日郷社に列し、同四十一年神饌幣帛供進神社に指定せらる。
 祭神の中、建御名方命は鎌宮諏訪神社、中筒男命は住吉神社、大名持命は春日神社の祭神で、明治四十一年合併された。
  以上


参考:『日本の神々8』白水社、『式内社調査報告』巻十六

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