伊豫國:24座 大7小17



宇摩郡[ウマ]:1座大

村山神社[ムラヤマ](名神大)
村山神社[むらやま]「天照皇大神 配 齋明天皇、天智天皇」愛媛県宇摩郡土居町津根1865 玄松子の記憶


新居郡[ニヰ]:2座大1小1

伊曾乃神社[イソノ](名神大)
伊曾乃神社[いその]「伊曾乃神」
式内大社 伊曾乃神社畧記
一、神紋…御所車
一、由緒…景行天皇の皇子、武国凝別命国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられる と、皇祖天照皇大神を奉斎し庶民を愛撫し皇威を弘められた。命の御子孫は伊予三村 別氏としてこの地方にひろがり栄え、天照皇大神に始祖武国凝別命をあわせ祀った。
これが当社の創祀である。奈良時代には伊予国第一の大社として皇室の御崇敬もあつ く外敵鎮圧、海賊追捕のたび毎に祈請があり、淳仁天皇の天平宝字六年(七六二年) すでに奉幣祈願のことがあり、称徳天皇は天平神護元年神戸十烟を、更に同二年五烟 を奉り従四位下に叙せられたこれは、我国における神位奉授のはじめであった。延長 五年(九二七年)の延喜式名神大社であり、つづいて永治元年(一一四一年)正一位 に極位した。崇徳天皇御祈願と共に勅額を賜る。その後も国司領主等による社地神田 の寄進及び社殿の建立等たびたびであった。昭和十五年国幣中社に列格され、昭和五 十七年には浩宮様が御親拝された。
一、社殿…昭和十五年御昇格に際し改築され従来の「入りトンボ造り」を近代化した 茅葺白桧木の神明造りとなり、昭和四十六年に銅板葺に葺替えた。
一、境内地…一万六千五百坪(社叢には特異な植物が多い。)
一、宝物他…大倉粂馬翁の奉献になる伊曾乃文庫(国学、史書、古文書等約一万冊) 並びに国の重要文化財「予州新居系図一巻」、西条祭絵巻、勅額その他。
一、西条駅より約三Km途中迄バスの便がある。瀬戸内バス西条〜今治間東光下車、 一Km加茂行バス伊曾乃前下車五百m。
愛媛県西条市中野1643 伊曾乃神社 玄松子の記憶

黒嶋神社[クロシマ]
黒嶋神社[くろしま]「?」愛媛県新居浜市黒嶋107 玄松子の記憶


桑村郡[クハムラ]:3座並小

佐々久神社[ササク]
佐々久神社[ささく]「大鷦鷯命、神八井耳命」愛媛県東予市安用甲512 玄松子の記憶

布都神社[フト]
布都神社[ふつ]「布都主神 配 武甕槌神、天照皇大神、武布都蛇麁正剱、倭武命、高倉下神、神倭磐余彦神」九州を発祥の地とする物部氏は豊後の直入郡から大分を経て、伊予宇和郷から四国の北岸をぬって讃岐から畿内に入ったとされる。愛媛県東予市石延字大ヶ市119 玄松子の記憶

周敷神社[スフ]
周敷神社[すふ]「火明命 配 大山祇命、大己貴命」愛媛県東予市周布字本郷1532 玄松子の記憶


越智郡[オチ]:7座大2小5

伎神社[オホスキ]
大須伎神社[おおすぎ]「少那毘古那命」愛媛県今治市高橋乙358-3 玄松子の記憶 

伊加奈志神社[イカナシ]
伊加奈志神社[いなかし]「五柱命、五十日足彦命、伊迦賀色許男命」蒼然とした樹林に覆われた急峻な約200段の階段の奥に小殿が鎮座する。 愛媛県今治市五十嵐字上ノ山甲634  伊予国 玄松子の記憶

大山積神社[ツミ](名神大)
大山祇神社[おおやまずみ]「大山積神」
大山祇神社由緒 御祭神大山積神
御祭神大山積大神は、天照大神の兄神で山の神々の親神に当たり(古事記・日本書紀 )天孫瓊々杵尊の皇妃となられた木花開耶姫命の父神にあたる日本民族の祖神として 、和多志大神(伊予国風土記)と申し上げる。
海上安全の守護神である。
地神・海神兼備の大霊神として日本の国土全体を守護し給う神であるところから古代 より日本総鎮守と尊称され朝廷を初め国民の崇敬は各時代を通して篤く中世は四社詣 、五社詣の中心となり、平安時代既に市が立ち現在に続いている。
御分社は全国に10,000余社祀られ、延喜式名神大社に列せられ伊予国一の宮に 定められた。明治以降は国弊大社に列せられ四国で唯一の大社としして尊崇されている。
日本総鎮守と尊称されてきた。鎮座している大三島は単に島であるだけではなく、最高峰の鷲ヶ頭山がその名の通りのたたずまいを示す。 境内の樟群は原生林の名残を留めている。裏山には磐座とおぼしき巨岩が群在する。 この島を含む地域は小千国[おちのくに]と呼ばれたが、越智氏の出自には二説があり、薩摩の坊津を根拠とし大山祇神を祖神とする越智氏か、饒速日命を祖とする越智氏かであるが、後者の物部系の説の方が有力である。 愛媛県越智郡大三島町宮浦3327 玄松子の記憶

大野神社[オホノ]
大野神社「大山積命、上津姫命、下津姫命 配 大穴牟遲命、少毘古那命」愛媛県越智郡玉川町大字大野字森ノ内 玄松子の記憶

姫坂神社[ヒメサカ](名神大)
姫坂神社[ひめさか]「市杵嶋比賣命」愛媛県今治市日吉 玄松子の記憶
三嶋神社摂社姫坂神社「「市杵嶋比賣命」愛媛県今治市町谷 玄松子の記憶

多伎神社[タキ](名神大)
多岐神社[たき]「多伎都比賣命、須佐之男命、多伎都比古命、大己貴命」奥の院の磐座信仰に始まる。愛媛県越智郡朝倉村大字古谷字大谷乙47 玄松子の記憶

樟本神社[マキモト]
樟本神社[くすもと]「素盞嗚命 合 皇女神」愛媛県今治市八丁町字天皇668 玄松子の記憶


野間郡[ノマ]:1座大

野間神社[ノマ](名神大)
野間神社[のま]「飽速玉命、若彌尾命、須佐之男命、野間姫命」愛媛県今治市神宮字杉ノ下甲699 玄松子の記憶


風早郡[カサハヤ]:2座並小

國津比古命神社[クニツヒコ]
國津比古命神社[くにつひこのみこと]「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊 配 宇麻志麻治命、物部阿佐利命、譽田別命」
風早宮大氏神延喜式内社國津比古命神社櫛玉比賣命神社略縁起
式内社とは、延喜年間(901年−922年に編纂された「延喜式」『神名帳』に 記録されている神社のことをいいます。全国に2861社(3132座) あり、愛 媛県内には当社を含めて4社あります。風早 (風速) の名称は承平年間(931年− 938年 につくられた「和名類従抄」『国郡部』に初めて見られます。この地は「 國造」である『物部阿佐利』により開拓され、支配されていました。この物部阿佐利 命の祖神をお祭しているのが「國津比古命神社」です。

祭神 天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊 (以下、『櫛玉饒速日尊』といいます。) 相神 宇摩志麻治命 物部阿佐利命 誉田別尊 (応神天皇) そして櫛玉饒速日尊の妃神 ( 櫛玉の比賣 をお祭しているのが「櫛玉比賣命神社」です。祭神 御炊屋姫命 天道 姫命 神社創設の時期は明確ではありませんが、
@式内社であること
A歴史地理的条件
B環境風土の形態から考えて、いまから1500年以上前と考えられます。

國津比古命神社 國津比古命神社は応神天皇の時代に物部阿佐利が國造に任命され、 彼の祖神である櫛玉饒速日尊と宇摩志麻治命(櫛玉饒速日尊の子)をお祭りしたこと に始まります。社号は、初め『櫛玉饒速日命神社』でしたが、物部阿佐利命を合祀し て國津比古命神社と名を改めました。後に誉田別尊を合祀し『頭日八幡宮』と再び改 めましたが、享保年間(約270年前) に國津比古命神社と旧号にもどりました。 天正年間1573年−1591年) 、戦火のため社殿・宝物を焼失しましたが、河 野家が社殿を建築し、現在にいたっております。明治4年に社格が『郷社』になり、 同29年『県社』に昇格しました。昭和26年 『八脚門』県指定有形文化財 。
昭和43年 中殿・拝殿改築。 昭和60年 社殿屋根葺替・境内地拡張補強。

櫛玉比賣命神社
國津比古命神社の主祭神である櫛玉饒速日尊の妃神をお祭りしているのが、向かい 側の櫛玉比賣命神社です。社号は『祓座大明神』ともいわれました。寛永年間約3 60年前 官命により、南方の小山の頂より現在の地に移されました。古来、地方豪 族の氏神として崇敬され、明治29年に社格が『郷社』になりました。
史跡 境内 前方後円墳
昭和3年 中殿 改築。 昭和60年 社殿改築・境内地拡張補強。ご両社はご夫婦な かよく向かいあってお祭りされ,私どもをやさしく見守っていただいております。こ れが家族円満,夫婦円満(一願成就)の神社であるといわれる所以です。

祓い
人々は春には豊かな実りを祈り,秋には感謝の誠を捧げるために祭をします。祭をす る者は「きよらか」でなければならないので,お祓いなどをして心身を清めます。 祭に使う道具なども新調します。(当社の場合は神輿を新調します。)

祈り
日本書紀の『神武天皇紀』に「顕斎」の記事が書かれております。時に道臣命に勅し たまはく,いま高皇産霊命を以ちて,朕,親ら顕斎を作さむ。汝を以ちて,斎主とな して,授くるに,厳姫の號を以てせむと。顕斎とは「そこに神様がおられるようにお 仕えすること」です。櫛玉饒速日尊のご神徳は「一願成就」です。國津社の神輿の前 で祭を行っている時に櫛玉社のおしのびの渡御(宵の明星の神事)があります。人々 の幸福(一願成就)を祈ります。
神人一体 なぜ,神輿を壊してしまうのでしょうか。@祭の物忌を解くためであります(解斎の 行為)A祭具の清浄さを保つためであります(神威の更新)
@祭の期間は「きよらか な期間」なので,それの終わりを告げる行事としてこれがある。
A当社の場合,毎年 神輿を新調しますが、伊勢神宮では平成5年0月に式年遷宮(20年に一度すべてを作 りかえる)が斎行されます。

感謝
米を作るということを通じて,自然の恵みに感謝する。

結び(よりよく生きる)
@好き,嫌いなく食べる(元気な体)。げんきの「き」の字は「氣」・「気」?生活 の中から米をしめ(メ)出していませんか?A言動を正す(正しい言葉づかい)言霊 (ことだま・・・言葉の魂)B豊かな自然とご先祖様に生かされていることに感謝する 神詣で(風早の火事祭)
@総論 俗に、半鐘と太鼓をたたきながら、賑やかにだんじりをかくので、「かじま つり」などといわれておりますが、『火事祭』は「ひのことのまつり」と読みます。 そのいわれは國津比古命神社にお祭りされている神様の名前に関係があります。お祭 りされている神様は『天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(天火明命)』と申します。な ぜ「ひのことのまつり」なのでしょう。
A別火 秋祭の始まる3日前から神職は斎館 に参籠して,潔斎を行います。調理に使う火は鑚りおこします。また,秋季動座祭に おいては此の鑚火により調理した「鮒のいずみや」と「一夜酒」が特殊神饌としてお 供えされます。
B動座祭(宵の明星・・・顕斎の再現)日本書紀の『神武天皇紀』に 「顕斎」の記事が書かれております。当社の動座祭には,この顕斎の神事の再現がな されます。動座祭に限って女神である『櫛玉比賣命神社』から祭祀が始まります。御 動座は祭式次第の最後に斎行します。これに対し,男神である『國津比古命神社』で は御動座は祭式次第の最初に斎行し神輿の前で祭祀をします。ちょうどその御動座祭 の時(祝詞奏上の時)『櫛玉の比売』の『宵の明星』の渡御(おしのびの渡御)が斎 行されます。これが『顕斎の神事』の概略であります。
C解斎の神事 各地区での渡 御を終えた四体の神輿は神社にかえり,大勢の氏子崇敬者の見守るなか四十段の石段 のうえから真っ逆さまに投げ落とし分霊が表れるまで壊されます。なぜ,神輿を壊し てしまうのでしょうか。
@祭の物忌を解くためであります(解斎の行為)
A祭具の清浄さを保つためであります(神威の更新)
D一願成就 私どもは『天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(天火明命)』の御神徳を一願成就と説いております。『生きとしける もの』はすべて『火』のおかげをこうむっております。一願成就の「一願」とは「一 つの願事」が叶うということよりも,それぞれの人の願事がかなうことによって「世 の中の人がみんな幸福になること」であります。これが「ひのことのまつり」の所以 であります。

風早の秋祭 「ひのことのまつり」 俗に,半鐘と太鼓をたたきながら,賑やかにだ んじりをかくので,「かじまつり」などといわれておりますが,『火事祭』は「ひの ことのまつり」と読みます。
@そのいわれは國津比古命神社にお祭りされている神様 の名前に関係あります。お祭りされている神様は『天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊( 天火明命)』と申します。なぜ「ひのことのまつり」なのでしょう。
A動座祭(宵の 明星・・・顕斎の姿)「動座祭」は分霊を本殿から神輿にお移しするお祭です。日本 書紀の『神武天皇紀』に「顕斎」の記事が書かれております。時に道臣命に勅したま はく,いま高皇産霊命を以ちて,朕,親ら顕斎を作さむ。汝を以ちて,斎主となして ,授くるに,厳姫の號を以てせむと。動座祭には,この顕斎の「姿」があります。動 座祭に限って女神である『櫛玉比賣命神社』から祭が始まります。櫛玉社のご動座は 祭式次第の最後に行います。これに対し,男神である『國津比古命神社』ではご動座 を祭式次第の最初にします。國津社のご動座のおり(祝詞奏上の頃),『櫛玉の比売 』の『宵の明星』の渡御(おしのびの渡御)が始まります。これが『顕斎の神事』の 概略であります。
B解斎の神事 各地区での渡御を終えた四体の神輿は神社にかえり ,大勢の氏子崇敬者の見守るなか四十段の石段のうえから真っ逆さまに投げ落とし分 霊が表れるまで壊されます。なぜ,神輿を壊してしまうのでしょうか。@祭の物忌を 解くためであります(解斎の行為)
A祭具の清浄さを保つためであります(神威の更新)
C一願成就 私どもは『天火明命』の御神徳を一願成就と説いております。『生 きとし生けるもの』はすべて『日(火)』のおかげをこうむっております。一願成就 とは,一つの願事が叶うという意味ではなく,人々の願事が叶うことによって「世の 中の人がみんな幸福になること」であります。これが「ひのことのまつり」のいわれ であります。
國津比古命神社は応神天皇の時代に物部阿佐利が國造に任命され、彼の祖神である櫛玉饒速日尊と宇摩志麻治命をお祭りしたことに始まる。社号は、初め『櫛玉饒速日命神社』であった。愛媛県北条市八反地甲185 玄松子の記憶

櫛玉比賣命神社[クシタマ・・]
櫛玉比賣命神社[くしだまのひめのみことの]「天道姫命 配 御炊屋姫命」愛媛県北条市高田702 玄松子の記憶


温泉郡[ユ]:4座大1小3

阿治美神社[アヂミ](名神大)
阿沼美神社[あぬみ]「大山積命、高神、雷神 合 味耳命、面足神、惶根神、神八井耳尊」愛媛県松山市味酒町3丁目1-1 玄松子の記憶
阿沼美神社「大山祇神、月讀神、高神、雷神」愛媛県松山市平田町宮内983 玄松子の記憶

出雲崗神社[イツモヲカ]
湯神社に合祀「大己貴命、少彦名命 合 素盞嗚命、稲田姫命」愛媛県松山市道後温泉湯之町4-10 玄松子の記憶

湯神社[ユ]
湯神社[ゆ]「大己貴命、少彦名命 合 素盞嗚命、稲田姫命」愛媛県松山市道後温泉湯之町4-10 玄松子の記憶

伊佐尓波神社[イサニハ]
伊佐爾波神社[いさにわ]「足仲彦尊、氣長足姫尊、譽田別尊、市杵嶋姫尊、湍津姫尊、田心姫命」愛媛県松山市桜谷町173 玄松子の記憶


伊豫郡[イヨ]:4座大1小3

伊豫神社[イヨ](名神大)
伊豫神社[いよ]「彦狹嶋命 配 愛比賣命、伊予津彦命、伊予津姫命、大日本根子彦太瓊尊、細媛命、速後神命、伊予親王、藤原吉子」愛媛県伊予郡松前町神崎字小斎院193 玄松子の記憶
伊豫神社「月夜見尊」愛媛県伊予市上野宮神戸郷2485 玄松子の記憶

伊曾能神社[イソノ]
伊曾能神社[いその]「天照皇大神」愛媛県伊予市宮下北谷2007 玄松子の記憶

高忍日賣神社[タカオシヒメ]
高忍日売神社[たかおしひめ]「高忍日賣神 配 天忍日女命、天忍男命、天忍人命」愛媛県伊予郡松前町大字徳丸字宮浦387 玄松子の記憶

伊豫豆比子命神社[イヨツヒコ]
伊豫豆比子命神社[いよづひこのみこと]「伊予豆比古命、伊予豆比賣命、伊與主命、愛比賣命」久米氏の祖神を祀る。愛媛県松山市居相町337 神社公式 玄松子の記憶


H22.3.20

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