大鳥濱神社
大阪府高石市羽衣 5-2-6  its-mo


鳥居

交通

南海羽衣から高師浜行き、伽羅橋



祭神
両道入姫皇女(ふたじいりひめのみこと)
垂仁天皇の皇女、日本武尊の妃、仲哀の母



拝殿



由緒

   慶雲三年(706)に創祀されたと言う。大島浜神社者穂積氏、忍山宿禰之女弟橘姫命也 是亦日本武尊之后妃也 の記録が残っている。 式内の大鳥浜神社の論社。
 大鳥五社明神の一。一時、井戸守大明神と呼ばれていた。 現在でも井戸守稲荷が境内に鎮座し、清水が出る井戸がある。

 境内に、羽衣砂丘遺跡の碑が立っている。6〜8世紀の古墳後期から奈良時代にかけての集落の跡。 土器や須恵器、漁業用の網の錘り、飯蛸壺などが魚の骨などと共に出土。

 地名の「羽衣」の通り、羽衣伝説が残る。昔、天女が浜寺の松林の美しさについ地上に降り立ち、羽衣を松に掛けて海で遊んでいた。漁師に羽衣を隠され帰れなくなってしまいました。


本殿



お姿

   現在は海辺ではないが、境内は砂地。松が多く植えられている。

 伽羅橋とは芦田川に架けられた橋で、かっては紀州街道に架けられていた。この橋の名の由来は、垂仁天皇の時代、朝鮮半島の南端に、大伽羅という小国があり、その国から日本に渡ってきてこの付近に居住していた者が造ったことによるという説と、伽羅という香木で造られていたためという説の二説がある。


羽衣砂丘遺跡



お祭り

10月 5日 秋祭

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