春日神社
和泉市春木町615番地 its-mo

鳥居

交通

泉北高速和泉中央駅からバス春日神社前



祭神

武甕槌命、天児屋根命、経都主命、比賣大神
摂社 春木戎神社、九頭神神社

拝殿



由緒

 常陸の鹿島神宮の祭神 武甕槌命、下総の香取神宮の祭神 経都主命、藤原氏の氏神 天児屋根命、比賣大神の四神を祀る。

 『大阪府全志』によれば、「口碑の伝える所によれば、初め当荘に住せし物部氏の後裔である唐国連の祖および誉田別命を祀りて物部布留神社と称していた。神護景雲二年(768)鹿島明神の大和三笠山に遷座の途、暫く此処に駐輿あらせられたるを以て、当荘に住せる藤原氏の裔は社殿を設けて春日神社と崇めしに、物変わり星移りて地主神である物部布留神社は摂社となり、春日神社が本社となりて今日に至る。」と記されている。

 物部布留神社は若宮八幡神社と改称されたそうだが、境内には見当たらないようだ。

 また、かっては境内に神宮寺があった。役の小角の開基による医王山冬堂宗福寺といい、また布留堂と称し、大同年間(806〜)弘法大師一冬安居されし後は冬堂と称すと言う。

本殿

 境内摂社として九頭神神社が鎮座している。祭神は菅原道眞と九頭神明神となっている。九頭神明神が祀られている由来は不明であるが、『和泉名所図会』に善女龍王社の存在が記載されている。

九頭神神社
 

お姿

 広い境内で一部はグランドのようになっている。本殿の北側は山につながっているようだ。その手前に九頭神神社が鎮座、さらに弘法大師の冬籠もりの石碑がたっている。

弘法大師の冬籠もりの石碑  樹齢400年の槙の木
 


お祭り

 10月10日 例祭

平成祭礼データ

 御由緒
 往時当松尾荘には(又は春木庄とも云う)藤原氏族本貫を有し武烈天皇の御宇には物部氏族今の北松尾に本貫を有せり為に称徳天皇神護慶雲二年鹿島明神常陸国より大和国に御遷座の途次当地に立寄られ暫く停留され給う、春日大神は固より藤原氏の祖先神なる上に斯く神人親密の機会を喜び当庄内の藤原氏こぞりて社殿を設けて創社し亦、和泉国内神名帳による「従五位物部布留社在春木村俗称布留堂風景幽絶」とある如く本貫を有せし物部氏族氏神として物部布留神社を創社し地主の神として古来松尾庄内の氏神なり。境内に神宮寺あり、役の小角の開基による宗福寺なり、後これを布留堂と称し大同年間弘法大師一冬安居されし後は冬堂と称す(泉州誌)斯く往時より当地方最も神威顕著なる神社として後醍醐天皇より正一位四所明神の勅額を下賜ありて神威益々光輝を放ち古来より松尾荘内の総氏神、産業隆昌の神としてのみならず当地鎮護の神として早害疫災に際しては厄除疫病平療を祈願し国守、住民の崇敬の中心神社として今日に至れり但し往時の宏壮なる社殿神宮寺の伽藍、金堂、宝塔、古文書、宝物など多く天正の兵火を羅り之を失うされど寛文十一年、享保十七年、宝暦二年、文化八年、天保十五年、明治二十六年、昭和二十九年度々建替、葺替等修理し明治四十二年八月には神饌幣帛供進社に指定され、昭和四十五年四月には御鎮座千弐百年祭を執行す。
  以上

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