里外神社(りげ)
大阪府泉南市岡田3丁目25-1 its-mo

鳥居と拝殿

交通

南海本線岡田浦駅 南東400m



祭神

素盞嗚尊 合祀 大年命、蛭子神


摂社
 淡島神社、住吉神社、石祠、琴平神社



由緒

 社記によれば、もと呉服神社と称して、現在地の七八町に鎮座していた。そこから霊火があり、東に飛び、老松に留まった。後に、鳥羽院熊野御幸の途中のこの事を聞き、霊火の留まる老松の辺を調べると、一個の霊剣を発見した。その霊剣を神体として其の地に神殿を建て、素盞嗚尊を勧請し、岡田の集落の外であったので、里外神社と名付けた。

 社側の鰈淵(カレイフチ)は、鳥羽院の厩戸王子に駐輦の際、里人がこの池に鰈の遊泳していることを認め、捕らえて献上したところ、ことの外満足されて、池にこの魚の名を付けるように命じた。

 明治末期の神社合祀の際、古苗代の岡田神社「大年神」、下井の大浦神社「蛭子命」、琴平神社、幡守神社を合祀した。

本殿

お姿

 広い楠木の森が遠目にもよく見える。本殿は南面。
 本殿の西側に巨石二個、更に西には池、王余魚渕(鰈淵)である。

鰈淵

 摂社が並んでおり、その中に石祠がある。

摂社の石祠と狛犬(狛河童?)


お祭り

 10月 9日 例祭

『平成祭礼データ』
里外神社 由緒書

 御祭神は素戔嗚尊で古い社名は呉服大明神と称せられた。創建は古く仁徳天皇の代に古松古杉欝蒼と茂る森がありここに社殿を創立し鎮祭されたといわれ日本書紀に依れば垂仁天皇の代に五十瓊敷命を兎砥の川上に置いて倭文部を管理せしめられた。倭文部とは機織工の事であり兎砥の川上とは現在の信達の事である。即ち実に泉州機業の発祥の地であり当社はこの倭衣織の守護として尊崇されて来た。因由も亦明かなことである中古に至り当社の西方約八丁に一本の老松があり、其の根元より毎夜霊光を発し、その光が当社の境内に飛んで行くのを見た村人達は、松の根元を掘り確かめた所霊剣を得た。村人はその霊剣を当社に奉献し、その霊剣を御神体として素戔嗚尊を御祭神として社名も岡田の里の外であったので里外神社と改めた。また曽って後鳥羽上皇は熊野詣の際厩戸の御所(信達市場)に御止宿になり岡田鰈の有名なるを聞き給うて当社へ行幸された村人は無上の光栄と悦び当社境内の王余魚渕の鰈を献上しその後行幸のみぎりには王余魚渕で飼育した鰈の献上が例となったと伝えられている。

 尚合祀の御祭神は大年尊、蛭子尊の二柱である。大年尊は五穀豊穣をつかさどる大神であり、蛭子尊は商業鎮護の大神である。「岡田のえびすさん」として近郷に古来より深い信仰がある。
以上

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