降幡神社
南河内郡河南町山城 ゼンリン

社域




交通案内
富田林駅東2km



祭神
天忍穂耳命、天津彦火々瓊々杵尊、彦火々出見尊、彦波限建鵜葺草葺不合命、神日本磐余彦命(『大阪府志』)
天押日命(『三代実録』の天押日命神社に該当するか)


社殿




由緒
 『三代実録』に、「清和天皇貞観十五年(873)河内国正六位上天押日神従五位下」とある式外の神社と見なされている。これは鎮座地の西側に北大伴、南大伴と云う地名が残っていることから大伴連の居住地と推定されていることによる。『新撰姓氏録』に、河内の未定雑姓に大伴連があることが一つの裏付け。
 『河内名所図会』には、南大友の山中に伝大伴黒主夫婦の塚があったことが記されている。平安時代の歌人で六歌仙の一。大友が正しいようだが。
 『河南町誌』によれば、当地は古代豪族大伴氏の原郷であり、その祖神を祭ったとする。

 明治四十年、壹須賀神社に合祀されたが、旧社地に復した。大きい楠の木が残っている。

社殿と楠木




お姿
  旧社地である小高い丘の上の隅に鎮座している。今にも落ちそうだ。
 樹齢数百年と思われる楠の巨木が目印で、いかにも神が降臨したような場所に思える。


お祭り

 


『大阪府神社史料』、現地の教育委員会による説明板

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