壹須何神社・一須賀神社
大阪府南河内郡河南町一須賀628番地 its-mo

鳥居

交通案内
近鉄長野線 富田林駅東2.8km



祭神
 大己貴尊、天照皇大神、天兒屋根尊、品陀別命
 合祀 天滿大自在天神、天忍日尊、天津彦火瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、彦波瀲武鵜鵜草葺不合尊、神日本磐余彦尊

拝殿




由緒
 石川郡の式内小社。石川の支流の梅川を見下ろす左岸台地上にあるが、かっては東方右岸の大ヶ塚上山に鎮座していたと言う。当地一帯は『和名抄』の河内国石川郡雑居郷(さわい)である。実に渡来系の吹き溜まりの地の命名。
 祭神については、武内宿値の子の宗我石川宿値命とする説が有力である。古代のこの一帯の地は蘇我氏の祖である石川宿値の居住地と見なされていたからである。
 一須賀古墳群は6〜7世紀の築造で、蘇我氏の最盛期に相当し、またその北側の磯長谷地域には蘇我氏との関わりの深い敏達、用明、推古、聖徳太子の陵墓伝承地があることからも頷ける話。

本殿




お姿
  一須賀村は石川右岸と梅川に挟まれた平坦地だが、鎮座地は高台。
 細長い社域で、見晴らしはいいのだが、荘厳さはない。
 境内に石柱が立ち、横に梅の木があった。天滿大自在天神を祀っているのかな。

石柱と梅の木


お祭り

 10月 17日に近い土曜日 例大祭

由緒 平成祭礼データから

  壹須何神社 由緒

 本地はもと石川郡に属し、当地方は古くは石川氏の居所であった。当社の起源は詳らかではないが、恐らくは「渡会氏神名張考證」などにも説かれている様に、蘇我の本支族がその祖廟として、宗祖石川宿禰を祀ったものと思われる。延喜式内社に列し、一に天神とも云う。大日本史神祗志には「今俗伝市河明神」とし、河内名所図絵は、「一須賀神社は一須賀村にあり延喜式内今天神と称す、当村大ケ塚村の産土神也、宮寺に十一面観音を安置す」とある。これにより宮寺のあった事が窺われるが、盛衰は不明である。天正十七年伊賀守より、境内免許の御証文を下され、後慶長十三年片桐市正の検地の節、宮山の内、開作の地の分御竿入高一石三斗五升六合、先年の旨を以って、右の高免除され、天正十七年豊臣秀吉、其の臣伊藤秀盛をして、当社の祈祷と境内免許の証を下された。その時祈祷のため伊藤秀盛の奉納した湯釜は今も社宝として保存している。
 明治五年村社に列し、同四十年九月十九日大字東山字上条の村社菅原神社を、同年十一月二十八日大字南大伴字宮の前の村社降旗神社を合祀した。老樫が境内をおおい、本殿は春日造りで桧皮葺きである。またこの地方は楠正成の時代に石川源氏の拠る所であって、この神域もその当時城塞の一部として利用されたようである。
  以上


『大阪府神社史料』、『日本の神々3』『平成祭礼データ』

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