鏡塚古墳・寶山神社
八尾市大竹5丁目 地図

古墳の麓の神社碑


交通案内
近鉄服部川駅 北西へ1km


祭神
岩坐大神 ほか二柱(祠の中の額:上野山司朗氏)


由緒
 この中河内では最大の古墳である心合寺山古墳(しおんじやま)の西にこの鏡塚古墳があり、その麓に神社碑があり、古墳を削った跡に祠が鎮座している。

 鏡塚古墳は直径約28m、高さ約5mの円墳と考えられているが、南側に大きい削った跡があり、前方後円墳の可能性も指摘されている。
 八尾市教育委員会による石碑には環濠式前方後円墳と断言している。 墳丘の上部には粘土槨が残っていたと云う。出土した埴輪からは5世紀後半の造築と考えられている。

 ここの土を取ると腹痛が起こるといわれ、腹痛山と称されている。また松山ともいわれる。
 八尾市の石碑には、「数年前に採土され、その跡に小神祠をまつる」とし、宝山神社と刻印された神社碑が建てられている。近隣の郷土史にお詳しい上野山司朗氏は昭和三十三年頃の建立と推測されている。それにしても石碑に数年前などの言葉を使うのはいかがなものかと思う。


古墳の上からながめた祠 削られた跡に鎮座

写真御提供 上野山司朗氏



写真御提供 上野山司朗氏

お姿
 服部川駅から北へ行くと八尾氏立歴史民俗資料館があり、さらに北に心合寺古墳を盟主とする楽音寺・大竹古墳郡とよばれる前期中期の古墳が数基分布する。 特に愛宕塚古墳は直径25mの円墳で、全長の横穴式石室を持つ。玄室も大きく、まさに河内の石舞台古墳と言える。『大阪府の歴史散歩』(山川出版)には、三野県主一族の墳墓の地と考えられるとしている。
 地名の「美努」は崇神天皇の頃、大物主神の託宣で、意富多多泥古を探すと河内の美努で探し出したと『古事記』に記載されている。

 近くの大阪経済法科大学の構内に高句麗好太王の碑のレプリカが建てられている。

好太王の碑のレプリカ



お祭り
 


『大阪府の歴史散歩』(山川出版) 『大阪歴史博物館作成資料』

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