屯倉神社(みあけ)
大阪府松原市三宅中4-1-8 its-mo

鳥居

交通案内
近鉄河内松原駅 北へ1.7km


祭神
菅原道眞、須佐之男命、品陀別命

摂社 酒屋神社「津速魂命」、天津神社「天穗日命」 ほか 酒屋神社は丹比郡の式内社、天津神社は元社

由緒
 菅原道真が道明寺の叔母の覚寿尼に別れをされた後、氏の社である当社へ参詣、この時に腰をかけたと云う「神形石」が境内に残っている。
 菅公が太宰府で刻んだ自らの木像を依羅の三宅寺(現在の社務所の場所にあり、十一面観音を祀る。)に送った。 天慶五年(942年)菅公像と左に素盞嗚尊、右に八幡本地の神影(応神天皇)を本社の地に祀ったと云う。

神形石

 屯倉は各地に王権の直轄領として肥沃な土地に収穫した稲米を貯蔵する倉庫であった。税を集める拠点である。 屯倉の管理=秦氏、と云う想定で訪ねたのであるが、土師塚などどうも秦氏の痕跡が今のところ見あたらない。 『正倉院文書』西南角領解に、河内国丹比郡黒山郷を本貫とする秦羸姓田主の名があるそうだが、黒山は美原町であり、 少し離れている。『新撰姓氏録』河内國諸蕃 三宅史 魏の司空の後 とあり、渡来系氏族が三宅を名のっているのだが、河内國の三宅はここだけではない。

社殿



 酒屋神社は三宅村の西に鎮座していた。旧社地の西側に「酒蓋池」と云う池や「酒屋井」があり、井戸から神が出現したと云う。 『新撰姓氏録』に中臣酒屋連 津速魂命の十九世孫真人連公の後也 とあり、彼らの居住地であったのだろう。

摂社 酒屋神社

お姿
 広い境内に梅の花が満開であった。 3月は菅公縁の神社が良い。 社殿は昭和六十三年に再建されている。大きく豪華な雰囲気を漂わす。
 近隣の住居は下町風でそれほど豊かな土地柄には見えないが、勤勉・節約・崇敬心が篤いように思われる。 播磨の幾つかの大酒神社もそう思わせる雰囲気があり、日本人の鑑のような住民達なのであろう。 どうしても秦氏を思ってしまう。



お祭り
    7月25日 夏季大祭
 10月 1日 2日 例祭


『神社の栞』

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