御厨天神社
東大阪市御厨1150番地 mapfan

鳥居

交通案内
地下鉄中央線長田駅 南西へ600m


祭神
大國主命、少名彦命

摂社 智葉神社、楠神社

由緒
 当地はかっては河内国若江郡。地名から式内小社意岐部神社の有力な論社。他に北東数百メートルの長田神社。
 延喜式の内膳司に「造雑魚鮨十石・味鹽魚六斗河内国江厨所進」とある江厨は当地のこと。 したがって『姓氏録』河内国皇別に、「江首、江人附彦八井耳命七世孫来目津彦大雨宿禰大碓命之也」とある江首は当地に関連することになる。 里伝には文武天皇の吉野行幸の際、当地より供膳したので御厨の名を賜ったと云う。また称徳天皇が由義宮を造り西京と称した時、御厨を設置された所とも云う。河内湖の海産物の荷揚げ場であったのだろう。

 当社の北に接して往古大伽藍があったが、その名は不詳。北に寺内、北坊、門屋小路、中小路、出口などの地名が残っていることが大伽藍を物語っている。『大阪府史蹟名勝天然記念物』によると、この寺の本尊薬師如来(伝聖徳太子作)は、大和国秋篠寺に移したと云う。秋篠寺の石燈は当天神社前のものと同形、また紋章も共に巴。双方の関連を指摘している。
 『河内志』には意支部神社をどこにも比定していない。長田神社も当社も決定的ではなく、第三の候補ないし退転か。

本殿と元禄十年の銘の石燈籠

お姿
 市の天然記念物指定の大楠木がある。 日本一の楠木は鹿児島にあり、幹周囲24m、大阪府の一番太いのは門真市三島神社で12.5m、当社のは6m。

 また八角大型石燈籠は秋篠寺のと同形。元禄十年の銘の石燈籠もある。

八角大型石燈籠

楠木、楠神社



お祭り
  7月18日 夏季大祭 10月18日  秋季大祭

『平成祭礼データ』由緒

 当社の創建年代は詳らかではないが、延喜式に意岐部神社があり、これは村名が社名になったもので、口碑によると現在の社名は近世に改称したものである。古くは意岐部神社、または御厨神社と称していたと伝えられている。
 大阪府全志によれば、本地(大字御厨)は古来若江郡に属し、御厨村といった。延喜式の内膳司に「造雑魚鮨十石、味塩六斗河内国江厨所進」と見える江厨は本地であって、村名はそれによって起こり、姓氏録河内国皇別に「江首江人附彦八井耳命七世孫木津彦大雨宿禰大確命之也」と見える江首もまた、本地ではないかと考えられる。
 里伝には、文武天皇の吉野に行幸あらせられた時、本地から供膳されたので此の名を賜ったといい、あるいは称徳天皇が河内国に由義宮を造って、西京と称されたとき、御厨を設置された所という。
 大阪府史蹟天然記念物によると、天神社意岐部村大字御厨西北隅奥方と称するところに鎮座とある。
 境内の樟(周囲二十一尺)の老樹をもって風致を添えている。
 末社に智葉神社、玉岡神社、外に三柱がある。
 元禄の銘ある石灯籠があり、枚岡神社より移された能舞台もあるが、近年演能が無く毀損している。 天神社の北を敷地といい、往昔大伽藍の遺跡というが、その名の詳細はわからないが寺内、北坊、門屋小路、中小路、出口等の地名があり往昔大伽藍のあったことを証している。
 本尊薬師如来(伝聖徳太子作)は、後世これを大和国秋篠寺へ移したものと、同寺の石灯籠は当社前のものと同形であり、また紋章も共に巴となっているのは、何等かの相互関係を有するものと記されている。
 以上


参考『式内社調査報告巻四』、『大阪府神社史資料』

神奈備神社一覧大阪

神奈備にようこそ

  inserted by FC2 system