天照大神高座神社・岩戸神社
八尾市教興寺字弁天山 550番地 ゼンリン


交通 近鉄信貴山口駅 南800m

 天照大神高座神社


祭神
天照大神、高皇産霊神(神社栞)
また 天照大神、高座神
また天照大神、春日戸神
また伊勢津彦命、伊勢津姫命


高座神社の鳥居

由緒 高座神社

式内社で天照大神高座神社二座 元を春日戸神と号すとある。大和岩雄氏は『日本の神々3』の中で、当地の高安郡に春日戸村主広田の名などが見えることと、 「戸」が岸俊男氏によると朝鮮半島からの渡来人の集合を称したものと紹介している。

 渡来系の氏族が太陽と祖先を神として祀ったと見ておこう。

 『神社栞』には元伊勢国宇治山田原から約1500年前の雄略天皇二十三年に当地に遷座したとしている。 『神社栞』は皇祖神の天照大神を勧請したと言うことであろうが、 別に伊勢津彦命、伊勢津姫命を祭神とする説もあるようだ。 この伊勢津彦命は『伊勢国風土記』に「伊勢と云うは、伊賀の安志の社に坐す神、出雲の神の子、出雲建子命、又の名は伊勢津彦命、又の名は櫛玉命なり。」 と出てくる神であり、「この神は昔、石を持って城を造りここに住んだ。阿部志彦神が来襲したが勝てずに還り去った。」とあります。 信濃へ去ったと言われますが、これは後生の付会かもしれません。出雲建子命、出雲建男命をして建御名方命に比定したいと思う人のしわざかも。
 天照大神高座神社には白飯之滝があり、どのような旱天でも水が絶えることがないと言われ、水神としての建御名方命を彷彿とさせている。

高座神社の社殿

 神宮寺の教興寺は秦川勝の建立と伝わる。 大和岩雄氏は、当神社を比売許曽神社や赤留比売神社などと同じ性格と見ておられるが、 渡来系太陽神もしくは巫女神を祀るとみておられるのであろうか。

 神社の立地は難波宮からは冬至の日の出の方向に当たる。また住吉大社おは東西線上にある。



 岩戸神社


岩戸神社の鳥居


祭神 市杵島姫大神

由緒

 俗に岩窟弁天と言われる。弁財天はインドの神。御神体は木彫りの極採色の弁才天であるが、現在は教興寺に鎮座。
 巨巖怪石累々として重畳とし、或いは猛虎の躍るが如く、或いは獅子の跼するが如く、その状頗る奇観なり。この石壁を穿ちて石祠を安置す。 里人、これを窟弁天と称したと言う。
 元々、天照大神高座神社が鎮座していたのを、、巨岩巍々たる岩壁をしてアナグラ(女陰)への信仰としての弁天信仰の発生であろう。 岩戸神社はその規模で式内社を上回っている。

 『神社栞』には、今より約1100年前、僧空海、高座神社参詣中、大神の御託宣により創建されたという。 古来日本最古の岩窟弁財天と称せられたという。と紹介されている。

岩戸神社の巨巖


たたずまい 参道は山道だが歩きやすい。高安山の中腹に鎮座。 巨岩が垂直にそそり立ち、圧倒する。「石と水」を基調とした神社に見える。

河内国名所図会 窟弁天の図


お祭り 7月第一日曜日 例祭−


*1 大いなる邪馬台国(鳥越憲三郎)講談社
*2 日本の神々3(大和岩雄、林利喜雄)
*3 大阪府の歴史散歩(山川出版社)
*4 大阪府神社史料


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