西代神社
河内長野市西代町16-5 mapfan

鳥居

交通案内
河内長野駅西500m


祭神
國常立命
 合祀 品陀別命、素盞嗚命、足仲彦命、氣長足比賣命、建内宿禰、菅原道眞

摂社 稲荷神社、戎神社

由緒
 神社創建については不詳。
 南北朝時代には一般の尊崇に加えて南方諸将の崇敬も篤かった。社記によれば、楠木正成の河内七城の一として元弘(1331〜)の昔、金胎寺城を構築した時に、その鎮守として篤く信心をした。その子の正儀は天野山の行在所に於いて 後村上天皇を守護し奉る際、当社に国家の安全、武運長久を念じ、天皇もまた深く尊信されたと言う。

 明治末期に近隣の神社を合祀している。大字上原字西山の西山神社は、鎮座地の里伝によれば、創建も古く、仲哀天皇陵との密接な関係があると言う。

社殿
 

お姿
 戦前には、境内2800坪弱、雑樹鬱蒼として、云々とある。今は比較的サッパリしている印象。老人がまめに掃除をされているようだ。

本殿



お祭り
 10月 11日  例祭

平成祭礼データ

 西代神社は、西代村の北方字松原に在りて國常立命を祀れり。創建の年月は詳かならずと雖も其の再建は実に寛政九年丁巳八月たるや疑なし、楠木正成公の金胎寺城を築くや、城の守護神として崇敬し其の子正儀公は後村上天皇の天野行在所を守護するに及び、当社に同行宮の安全と武運の長久を祈り給う。後村上天皇も深く当神社を尊崇し給い吉野行幸の砌、当社に御駐輦あらせられたることあり。 正徳五年十月二十三日宗源の宣旨を以て、正一位を授かり給い、西代大明神と称せられ、来りしも明治の始め社号を西代神社と改める。
 明治二十七年勅令第二十二号、明治三十九年勅令第二百二十号、明治四十年大阪訓令第二十四号の趣旨に基き、長野村五ケ大字協議の結果西山神社(上原村)、菅原神社(原村)、浦野神社(古野村)の三社を西代神社に合祀する事に決し明治四十一年二月十三日合祀の件許可せられ現在に及ぶ。以上の如く、我等の御先祖の多くの数の大先輩の御霊等により永い歳月を経て今日まで、代々受け継ぎ来りし御社頭の整備事業の奉賛、並びに文化遺産を益々立派なものとし御神威に添い奉るべく、亦我等も子孫の為に更に立派なものを申し伝えたいと念願致す所存に御座居ます。
  以上


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