太間天満宮
大阪府寝屋川市太間町10 地図

鳥居

交通案内
京阪香里園駅 西1200m



祭神
 菅原道眞、茨田連衿子

社殿




由緒
 創建年代は不詳。
 『仁徳紀』に、茨田の堤を築こうとしたが、壊れる場所が二箇所あった。天皇の夢に、武藏人強頚、河内人茨田連衫子の二人を河伯に奉ればきっと出来るだろうとあった。二人が探し出されて、強頚は泣き悲しんで水に入れられ、堤は完成した。一方、衫子(ころものこ)はヒサゴ二箇を河に投げ入れ、自分を生贄にほしいのならこのヒサゴを沈めて浮かばないようにせよ。出来なければ偽りの神だから生贄にはならないと宣言した。ヒサゴは流れ去った。衫子は死ななかったが堤は完成した。時の人は二箇所を名付けて強頚の断間(たえま)、衫子の断間(たえま)と呼んだ。
 この故事により、衫子の断間である当地に昔から小社を建てて祀っていた。

 近くの三井の若山に壮麗な天満宮が造営されたが、慶長三年(1598)に焼失、再建に当たって座争いが起こり、それぞれ分社を作った。太間村では衫子社に合祀した。
 後に菅公の末裔の方がこの地の有力者となり、道真公を多いに祀ったので、衫子のことは忘れられてしまったので神霊を友呂岐神社から受けて祀った。友呂岐神社にも太間以外に衫子が祀られていたようだ。

 享保五年(1720)三月八日、再建。
 明治五年中、石津村村社若宮八幡宮に合祀された。
 明治十五年、復旧。
 明治四十三年、友呂岐神社に合祀。
 昭和四十二年、独立。神社を再建した。この時、道真を主神、衫子を地主神とした。

社殿




お姿
  東向きに鎮座、ここから400m東が衫子絶間の跡とされる。行って見たが碑などはないようだ。
 社殿は拝殿や本殿などが一体のようだ。クス、エノキなど大きい木々が生えている。合祀された跡も社地として大切にされてきたのだろう。

 衫子絶間の跡の石碑がある。

衫子絶間の跡の石碑


お祭り

 


『西北地域史 鞆呂岐』

武蔵の強頚の顕彰碑

大阪市旭区千林 2−15−23 千林商店街京阪側からすぐの
加藤銘茶本舗の向かいの店が顕彰碑跡地、H27.11 整骨院

現在は指呼の距離の高木邸内に移設されている顕彰碑

大阪日日新聞から

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