竹淵神社(竹渕神社 天照皇太神社)
八尾市竹渕2−154 mapfan

鳥居

交通案内
地下鉄谷町線出戸駅 北東700m


祭神
天照大御神

摂社 勝手明神、雨乞神社、宮池大地主神社

拝殿

由緒
 『竹淵神社縁起』から
 上古、神武天皇日向国より岩船の山へ越給ふ時、当国ながすねひこおそい奉りしに、当郷の大竹藪の中へ入せたまひ、しはらく皇居成給ふを、ながすね彦が目にハふかき淵の中へ入給ふ神変と恐奉りて逃失ける、其時天皇楯をならへて猛獣を防ぎ給ふ所を、今もたてつ表といひて此村の東にあり、天皇上らせ給ふ道を神武海道といふハ、此時よりの名今に残れり、皇居の跡に天照皇太神宮をまつりて、往昔当郷の面々供奉し奉りしを、宮座と号し、明応年中(1492−)までは三十六人在しと申伝へし。(中略) 又土俗の説に、天皇藪へ入せ給ふ時、士卒安気せしより末代の人の行てやすらふを、藪入と云伝へしとハ、此村ニ覚ける諺也。

 『和名抄』河内国渋川郡竹淵 多加不知 とある。

社殿

お姿
 西側は集合住宅群。そこに緑の塊が盛り上がっている。境内に入ると以外にまばら。

 数十年前までは、境内を取り囲むように周濠があり、龍神のすむ宮池と恐れられていた。市街化が進み、碧水が汚水に変わっていき、昭和44年、周濠を埋めた。

 貞享四年(1687)、村の西から当地に遷座しているようで、竹藪は見あたらない。

水神二座 左八大竜王、右 水速女神



お祭り
 旧 6月21日  旧9月 9日 竹を切らない日


『寺院と神社の成り立ち』八尾市立歴史民俗資料館

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