八坂瓊神社
守口市大庭町2-24 mapfan

鳥居

交通案内
地下鉄大日駅 北西へ1km


祭神
素盞嗚尊



由緒
 不思議なことに『大阪府神社史資料』に記載がない。『平成祭礼データ』には、記載があるが、由緒はない。神社にもそれらしい掲示はない。
 祭神は素盞嗚尊、八坂神社と云う名であれば京都祇園社からの勧請だろうと推測できるが、八坂瓊とは皇室に伝わるという三種の神器の一で、皇室内に保管されていると云う。
 『日本書紀』(神代紀一書) 素盞嗚尊が天に昇ろうとされた時、一柱の神がおられた。名を羽明玉と云う。この神がお迎えして、瑞八坂瓊玉を奉った。素盞嗚尊は天照大神にこの玉を献上したいと申し出た。天照大神は天の真名井に浮かべて、瓊の瑞をかみ切って、宗像三女神を生じせしめた。素盞嗚尊に縁の玉である。
 伊邪那岐尊がその御頸珠の玉の緒もゆらに取りゆらかして、天照大神に賜ひて詔りたまはく、「汝が命は高天の原を知らせ」と言依さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板挙(ミクラタナ)の神」といふ。

 柳田国男翁は、板挙をしてイタケと読まして、「イタカとサンカ」なる論文を書いている。
 御倉は神几にて祭壇の義なるべし。この板挙之神は古註に多那と訓めあれど義通ぜず。おそらくはイタケの神にして、姫神が神父を拝祀したもうに、この遺愛の物を用いたまいしことを意味するならん。
 また紀州の国幣中社伊太祁曽神も社伝には日前・国懸の二神斎祀の時に現れ来たまえりといえば、すなわち一種の斎の神なるべし。この神と五十猛命と同じという現今の通説は、単に『日本書紀』の中に、五十猛命を即紀伊坐大神是也とあるに拠れるのみ。伊太祁曽はイタキソにして、イタケソにあらざることは、『倭名鈔』の郷名に伊太杵曽郷とあるもその一証にして旁素尊御父子この国に祀られたまえりとて、ただちに伊太祁曽をもってこれに充つるあたわざるを思うべし。伊太祁を五十猛なりとせば、曽の字すこぷる解するあたわず。けだし五十猛は別に父御神の斎祀に与りて、この名を得たまえるなるべく、あたかも後世八幡に若宮あり、熊野に王子あると同じくこれ等のイタキ、イタケはすべて皆御子思想に胚胎せる霊巫の名称にほかならざるべし。
 御子思想とは祖先祭祀につながるようで、それは三種の神器の一つである八坂瓊の勾玉の所有し続けることにあったのだろう。

拝殿

お姿
 中央環状線とモノレールが鳥飼大橋を渡る南側の一画、ゴウゴウたる騒音からスット静かになる大庭町の淀川に近い所に鎮座。

本殿


お祭り
 10月第3土曜日 例祭


『平成祭礼データ』

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