上總國5座 大1小4



埴生郡[ハニフ]:1座大

玉前神社[タマサキ](名神大)
玉前神社[たまさき]「玉依姫命」祭神としては高皇産霊の孫玉前命、また天明玉明とする説がある。[玉]とのかかわりが深い。御神体は琥珀、鮑貝などの海岸に寄り来たった美しい玉とされる。千葉県長生郡一宮町一宮字宮台3048  神社公式 玄松子の記憶


長柄郡[ナカラ]:1座小

橘神社[タチハナ]
橘樹神社[たちばな]「弟橘姫命 配 日本武尊、忍山宿禰」古事記の「七日の後、その后の櫛海辺に依りき、すなわちその櫛を取りて御陵を作り治め置」とあるのが当社とされる。千葉県長生郡本納738,739 阜嵐健
由緒
本武尊のご創建と伝え、陽成天皇元慶元年五月十七日、授上総国勲五等正五 位の下。光孝天皇八年七月十五日、授上総国勲五等正五位の上、橘神、日本武尊、忍 山宿祢二神を合祀すと記す。
小社。
九月、寛政十三年五月にそれぞれ改築。
五月三十日県社に列す。



海上郡[ウナカミ]:2座並小

嶋穴神社[シマアナ]
島穴神社[しまあな]「志那都比古尊、倭比賣尊 配 日本武尊」千葉県市原市島野1129,1130 市原の散歩道
島穴神社略記

「延喜式」所載の上総国五社の内の一社であり、古くからこの地方の格式あ る名社として崇められてまいりました。今からおよそ千八百年あまり前の景行天皇の 四十年(西暦一一四年)、日本武尊命が東征のみぎり、相模国走水より上総国へ航行 中、にわかに暴風に見遭われ、あやうく船が覆りそうになった時、同乗されていた妃 君の弟橘姫命が大和国の風鎮めの神・龍田大社を遥かに拝み、安全に上総国まで航行 させてくれるならば、必ずその地に風鎮めの神を祭り報恩感謝の誠を尽くしますと祈 りながら海中に身を投ぜられました。するとたちまち暴風は止み、無事上総国へ着く ことができたので日本武尊命は、弟橘姫命のご遺志の通りこの地に志那都比古尊を祭 る当社をご創祀されたのであります。
天皇が当地へ行幸の折(一二七年)日本武尊命、倭比売尊を合祀されました。
天皇八年(八八四年)には朝廷より正五位上勲五等の神階を授けられ、下っ て明治十二年(一八七九年)、千葉県の県社に列格されたのであります。


姉埼神社[アネサキ]
姉崎神社[あなさき]「支那斗弁命 配 天兒屋根命、日本武尊、大雀命、塞三柱命」 千葉県市原市姉崎2278 古代であそぼ
姉埼神社参拝のしおり
略記
神社は、社伝によれば、人皇第十二代景行天皇四十年十一月、天皇の皇子日 本武尊が御東征の時、走水の海で暴風雨に遭い、お妃の弟橘姫の犠牲によって無事上 総の地に着かれ、ここ宮山台においてお妃を偲び、風の神志那斗弁命(シナトベノミ コト)を祀ったのが始まりという。
御祭神は志那斗弁命であるが、その後景行天皇がこの地を訪れられて、日本 武尊の霊を祀られ、更に人皇第十三代成務天皇五年九月、このあたりを支配していた 上海上(カミツウナカミ)の国造の忍立化多比命(オシタテケタヒノミコト)が、天 児屋根命(アメノコヤネノミコト)と塞三柱神(サエノミハシラノカミ)を合祀し、 又人皇第十七代履中天皇四年忍立化多比命五世の孫の忍兼命(オシカネノミコト)が 、大雀命(オオササギノミコト)(人皇第十六代仁徳天皇)を祀ったといわれるから 、風の神を主神として、外に数柱の御祭神が合祀されているわけである。これら祭神 の御神徳は、姉埼神社への尊崇を高め、元慶元年(八七七)には神階も正五位上にま で進み、天皇の勅願所ともなった。又、「延喜式神名帳」にも、上総国の五社の一つ として載せられ、いわゆる式内社として有名になった。
後、天慶三年(九四〇)には、平将門追討の祈願が寄せられ、神社へ刀劔一 振が奉納された。
源頼朝が房総の地から鎌倉への途次、社前で馬ぞろえをして、武運長久を祈 願したという。
東が徳川氏の勢力下にはいるに及んで、慶長二年(一五九七)には松平参州 侯が、慶長六年(一六〇一)には結城秀康が、共に社殿を造営したり、神馬を奉納し たりした。なお、元和四年(一六一八)十一月には、この地の領主松平直政が社領三 十五石を寄進し、蘆屋原新田五町六反二畝五歩をこれに充てた。明治維新後、木更津 県が誕生するに及んで、姉埼神社は県社となり、千葉県となっても引き継がれた。



望陀郡[マウタ]:1座小

飫富神社[アキトミ]
飫富神社[あきとみ]「倉稻魂命」千葉県君津郡袖ヶ浦町飯富2863 古代であそぼ
御 由 緒
元年、皇兄神八井耳命が創始したと伝える。
』の「神名上」に、上総国五座のうち望陀郡一座飫富宮と記載され、明治五 年、県社に列せられる。
の平将門の乱により坂東の地は荒廃し、朱雀天皇はこれを憂えて、勅使を送 り神剣を奉納し兵乱鎮定を祈願した。
年六月初午の日(現在七月二四日)に行われ、文政十一年以降は氏子八か村 が交替で神輿を担ぐ。この祭礼は天延三年、上総国に疫病がはやったとき、時の上総 国の国司源頼光によって執り行われたものである。また、千葉県指定無形民俗文化財 である「飽富神社の筒粥神事」は毎年一月十四日の夜から十五日未明にかけて行われ ている。


H24.1.27
延喜式神名帳目次

神奈備にようこそへ戻る

inserted by FC2 system