鵜戸神宮
宮崎県日南市大字宮浦3232 ゼンリン

旧参道の鳥居

交通案内
宮崎交通バス鵜戸神宮参道入口


祭神
日子波瀲武鵜鵜草葺不合尊 配祀 神日本磐余彦尊、大日靈貴、天忍穗耳尊、彦火瓊瓊杵尊、彦火火出見尊

旧参道の石段

歴代別当の墓所の碑

由緒
 社伝によると崇神天皇の時代に創祀され、桓武天皇の延暦年間(782)に、勅命を受けた光喜坊快久と云う天台僧が社殿を再興し、その時寺院・僧堂を備え、鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺の勅号を賜ったと云う。以降、仁王護国寺が別当寺院として管掌して来た。明治維新までは18の寺坊が八丁坂参道の両脇に並んでいたと云う。
 太平洋をのぞむ海蝕洞の中に社殿が鎮座、神社は古い信仰にも基づいている。海岸には奇岩があり、うち寄せる波を見ていると、豊玉姫が海からやってくる思いにかられる雰囲気を醸している。

神門     楼門

本殿の鎮座する洞窟

本殿

お姿
 旧参道は八丁坂と云われるように一度山の上に登ってから海岸近くまで下る道である。新しい参道はアップダウンのない海岸沿いの道のようだが、せっかくだから旧参道を歩いた。頂上付近に歴代別当の墓の入口の碑が立っている。
 神社は神門・楼門が続き、洞穴の中の神殿につながる。



お祭り
   12月  4,5日  例大祭

海岸の奇岩     霊石亀石
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『平成祭礼データ』から

 鵜戸神宮
当神宮は、「鵜戸さん」と愛称され、国定公園日南海岸の風光明媚な所、日南市鵜戸山の日向灘に面した、自然の神秘な洞窟の内に、朱塗の色あざやかにご鎮座されている。
 この洞窟は、主祭神の産殿の址と伝えられる霊地で、およそ千平方メートル(約三百坪)ほどの広さがある。
 強烈な太陽のもと、おりなす奇岩怪礁、紺碧の海、波状岩に砕ける白波と、自然の景勝につつまれたロードパーク日南海岸の中心地に当神宮はお鎮まりになっている。
 当神宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ、その後第五十代桓武天皇の延暦元年には、天台宗の僧、光喜坊快久が、勅命によって当山初代別当となり、神殿を再興し、同時に寺院を建立して、勅号を「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」と賜った。
 また宗派が真言宗に移ったこともあり、洞内本宮の外、本堂には六観音を安置し、一時は「西の高野」とうたわれ、両部神道の一大道場として、盛観を極めていた。
 そして明治維新とともに、権現号・寺院を廃して鵜戸神社となり、後に官幣大社鵜戸神宮にご昇格された。明治を一二〇余年経過した今日、全国津々浦々から、日本民族の祖神誕生の聖地を訪れる参拝者は、四時絶えることなくつづいている。
 現在のご社殿は、建造以来二百五十八年を経た昭和四十三年七月修改築を終え、本殿(八棟造)、末社の総てが色彩も鮮やかに復元された。
 御祭神の母君の豊玉姫命が御子の育児のため、両乳房をご神窟にくっつけて行かれたと伝える「おちちいわ」は、いまもなお絶え間なく玉のような岩しみずを滴らせて、安産・育児を願う人々の信仰の拠り所となっている。
 かって当地方には、新婚夫婦が「シャンシャン馬」に乗って鵜戸詣りをする風習があった。いまではこのゆかしい慣わしはなくなてしまったが、車で訪れる現代の新婚旅行の参拝者も数多くある。新婚旅行のメッカといわれるゆえんである。
 このほか、念流、陰流の剣法発祥の地として、また漁業、航海の守護神としての信仰は愈々篤く、今後とも神秘な霊気によって人々の魂を高めて行くであろう。
 また、神域の最高地、速日峰の頂に主祭神を葬める吾平山上陵(宮内庁御陵墓参考地)がある。
 以上

『宮崎県神社誌』、『平成祭CD』、『日本の神々』

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