住吉神社
壱岐市芦辺町住吉東触470番地 ゼンリン

鳥居 扁額の裏の「打ち出の小槌」



交通案内
郷ノ浦からタクシー


祭神
底筒男神、中筒男神、表筒男神 配祀 八千戈神
 摂社 草越神社、竹生島神社(たけいくしま)

境内入口の鳥居

由緒
 『社記』は、神功皇后征韓の時、住吉大明神出現ありて怨敵を退治したまう。皇后凱旋の時、郷ノ浦町御津浦に御上陸ありて、足形を石面に印したまへり。依りて其の海辺に住吉大神を鎮座し奉る。後に神託ありて波の音の聞こえぬ地を撰びたまふに依り、住吉の里に遷る。
 住吉大神は渡しの神であり、この神が波の音を嫌うのは面白い。同じ様なお話は、伊豆の熱海市西山町に鎮座する来宮神社の五十猛神にもある。この神も渡しの神としても著名である。

拝殿

 『境内説明板』文徳天皇を始め十一回に亘って神位を御進めになり醍醐天皇の御代には式内名神大社に明治四年五月には國幣中社にそれぞれ御列格になり昭和二十四年五月と同四十四年十月同四十九年十月には恐くも天皇陛下より幣饌料も御奉納遊ばされ今や壱岐の島の總鎮守として尚且つ長崎縣下筆頭の御由緒ある神社として 朝野の御尊崇殊に厚き神社なり

社殿

お姿
 382号線沿いの鳥居をくぐって下っていく。
 流石に国家鎮護の神であり、摂津、長門、筑前とつながるの住吉神社を背景にしているので、武家が私をすることもなかったのであろう。連綿と続く祭祀のおかげなのか、大きい木々も多く、重厚な神社である。

県重要文化財 絹本着色高野明神像
高野明神  丹生明神
 弁財天  蟻通明神

竹生島神社と神鏡十七面が発見された神池



お祭り
  11月 9日  例大祭

平成祭礼データ

御由緒
 住吉大神は、伊弉諾大神筑紫の日向の橘の小戸の檍原に禊祓い給いし時生れ出で坐せる海洋守護の御神徳顕著なる大神にして、神功皇后三韓を御親征の際、御示顕に相成り、皇后は御神託に依って、船上に御鎮斉あらせられしに、大神の和魂は玉体を守護し、荒魂は其の先鋒となりて舟師を導きて霊験を顕し給い、刃に血ぬらずして三韓を征し給う。
 又、八千戈神は又の御名を大国主神とも国造大巳貴神とも称奉りて、天の広戈を執りて国土を経営し天下を平定し給ひし武勇の神に坐せり仍て御凱旋の御砌舟師を御津の浜に駐め給い、鎮護の神として御親祭あらせられ、外敵国降伏の為、軍越神事を定め、臣安倍介麿に壱岐島を賜い大宮司として、その子々孫々をして、永く奉仕せしめ、異敵降伏国家安泰の神秘を行う軍越神事の秘法を伝えしめ給う。
 後御神託に依りて、今の社地に遷座し奉れる由緒伝に記されたり。
 其の如く「住吉大神は海路船舶の往来を守護し給う大神にてあらせらるるを以て、世に舟魂の神とも称奉り、毎年9月1日海鎮祭と称する古式の特殊神事の存する所以なり。相殿に坐す八千戈神は、天神の勅を奉じて天下を巡周し給い、村邑を開き田畑を開墾し道路を改修し、医薬禁厭の法を定め、万民安居の基礎を立て、専ら国土を経営し給いし大神なり。是即ち毎年8月1日国鎮祭と称する古式の特殊神事の存する所以なり」
 当神社は神功皇后御帰陣の際、御親祭の由緒深き古社にして、即ち住吉神社の草分けとも申奉るべき、日本最初の住吉神社総本宮なり。次いで御鎮斉あらせられたる長門摂津、筑前の住吉神社と共に、日本4住吉の1つにして、古来式内名神大社長崎県下筆頭の古社として知られたり。明治4年5月14日国幣中社に列せられ給う。かくて御鎮座以来現今に至る迄、海上安全国家安泰等々に御霊験の顕著なるものありて、島内は勿論全国よりの賽者年中絶ゆることなし媛(女へん無し)を以て歴代の天皇は国家の大事ある毎に必ず勅使を差遣し給い或いは神階を奉り幣帛を捧げ給い或いは社格を定め給う等、敬祭の誠を曷し給いしに依り、弥々御神徳は赫々として宇内に光被し益々衆庶の尊信を聚め農耕開発を始め、殖産興業海外発展等々は大神の佑助に依るものと信念して疑はざるなり。因に大正7年北白川宮殿下御参拝、昭和11年梨本宮殿下参拝有り。戦後と雖も些かも変わる事無く、昭和24年5月、同44年10月、同49年10月の3回に亘り、天皇陛下より幣饌料を御奉献あり。
  以上

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